ホーム > 連絡先一覧 > 商工労働部産業政策課 > 石川県上海事務所 Ishikawa Prefectural Government Shanghai Representative Office > ―中国で頑張る石川人 2005年5月―
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高橋さん(オフィスにて)
皆さん:今日は。
私は高橋恵子と申します。私の祖父、祖母は石川県能登の鹿島町出身です。不幸な戦争のため、父は「中国残留孤児」になり、私は「残留孤児二世」と言われています。中国の吉林省生まれで、吉林師範学院(教師の育成大学)を卒業しました。母の影響で中国で3年間の役所の公務員の仕事をした事があります。
私は24歳の時、家族と一緒に日本に帰国し、金沢に半年ぐらい住みました。石川県庁の労働組合で仕事をしたことがあります。石川県から大阪に行って、関西学友会日本語学校で日本語を勉強し、それから神戸学院女子短期大学に入り、国際ビジネス学科を専攻しました。卒業後、すぐに仕事を探さず、子供を生んで、子供を育てながら中国語を教える活動を始めました。大阪周辺の、伊丹市文化会館、豊中市国際交流センター、池田市日中友好協会運営の中国語教室の教師を経験しました。
三年前、友人の紹介で、岐阜県のある商社に入社し、上海で上海事務所を設立して、副総経理として一年間、総務、財 務、税務、営業の仕事をしました。また、上海で仕事をしながら中国会計の資格(経理の資格)を取りました。
現在、千葉県にあるブルースジャパン株式会社につとめています。去年の8月、上海に来て、上海事務所を設立しました。今、事務所は私一人だけです。「ブルースジャパン」は「ジャパン建材」のグループ会社です。本業は洋風家の建設、住宅のリフォーム、建材の卸売りなどの業務をしています。
中国で困ったことがあれば、お力になれることがあるかもしれません。これからも、宜しくお願いします。
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