ホーム > 連絡先一覧 > 商工労働部産業政策課 > 石川県上海事務所 Ishikawa Prefectural Government Shanghai Representative Office > ―中国で頑張る石川人 2005年2月―
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私は1958年(昭和33年)生まれです。自宅は河北郡の津幡町で上海には単身赴任しています。津幡町には家族がいます。今年で累計で中国との関係は17年目に入りました。1988年の秋に香港から広東省広州市に入りましたのが、初めての中国と接触でした。当時は現在のような中国の経済的発展を想像すら出来ませんでした。
学生時代にはESS(English Speaking Society:英語研究会)というサークルに所属し(卒業学部は経済学部)、大学を卒業後はアメリカにでも行って、仕事をしようと考えていましたが、こうして20数年の時間を経て振り返ってみますと、アメリカとはまったく逆の方向に来ていますし、日常的に使う言葉も中国語になってしまいした。学生時代あれほど得意であった英語などは、もう錆付いて鞘から抜こうにも抜けない状況です。まったく人生とはわからないものだな~とつくづく実感しています。
現在の私の仕事は中国に進出された日系企業様の企業内部の改善業を営んでいます。私自身の過去の中国での企業運営の経験(それは主に痛い失敗が多く、不思議と成功した記憶は数少ないものです。)及び私自身の実体験から得た経験にもとづき、お客様に具体的・現実的支援をしています。
企業規模の大小・業種業界・中国に進出された時期にかかわらず、中国に進出された日系企業様がその目的を達成する過程では、不思議とある程度、共通項があるものです。それぞれのお客様の実際状況に合わせまして、空理空論ではない企業運営上有効な現実的支援をしています。
各企業様内部での『真実の瞬間』を定量的に把握し、その企業様の理念・経営方針・社風に合致した改善策のご提案とその実践という支援業務です。
セミナーでの講義
こちら中国大陸で6ケ月以上滞在した都市は南から香港・広州・江蘇省の張家港・大連・旅順・そして上海です。
現在の中国においてどこの都市に住みたいか?と尋ねられますと私はきらいなく大連と答えます。(決して東北の女性:特に大連の女性がきれいだからではありません。)現在住んでいます上海も仕事の上では、大変便利なのですが、上海語がまったくわからない(どれが上海語でどれが広東語かは聞いて識別はできますが、コミュニケーション・ツールとして使用できない)私にはどうも心理的プレシャーが大きく、この面では大連などは大連訛りの北京語がベースでしたので、あまりストレスを感じませんでしたね。
これからビジネスや観光の目的で中国にお越しになる機会が皆さん多くなると思います。昨年の11月に小松⇔上海便が就航したこともあり益々便利になってくるものと思われます。
中国での実際の日常の生活側面を観察するには、市バス・地下鉄などに乗りますとよくわかります。(タクシーに乗るよりは、慣れれば実に経済的で便利です)。譲り合いの精神のなさ(?)や我先にゆくその行動特性などを実際に体験されますと、企業内管理においてもどのような管理方法が有効か自ずと理解できるものと思います。また、観光目的に来られる方は、日本国内のマスコミ誌上などで報道されている中国の経済的発展と中国での日常生活実感との温度差などを肌で感じとることができるものと思います。
中国には日本にはない良い面が多くありますが、同時に日本人の感覚からしますと理解し難いところも数多くあります。石川県人の皆様が中国にお越しの際には、お気軽にお声をかけて下さい。
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