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更新日:2014年12月16日

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上町マンダラ古墳群・永光寺

上町マンダラ古墳群

古墳時代前期
七尾市中島町上町
指定面積  6,934平方メートル


県指定史跡  昭和55年10月7日指定

のと鉄道能登中島駅の北西約1.5km、熊木川西岸に突出する舌状丘陵端部に位置する2基の前方後方墳からなる古墳群。1・2号墳とも墳丘は、偏平な方台状をなす主丘部(後方部)に小規模な突出部(前方部)を付設するきわめて初源的な形態を呈し、前方後方形の古墳としては最古の一群に位置づけられている。
小規模とはいえ能登では最北端に位置する前方後方墳であり、中能登町大槻11号古墳などとともに、中能登町雨の宮1号墳に先行する能登最古の古墳としてその存在意義は大きい。
1号墳-全長19m、後方部長12.5m、同高1.5m、前方部幅6m、同高0.5m。2号墳-全長18m、後方部長12.5m、同高1.5m、前方部幅6m、同高0.5m。
昭和60年「石川県の文化財」より  

 永光寺

羽咋市酒井町・本江町
指定面積  2万3,913平方メートル
 

 
県指定史跡  昭和58年5月10日指定

酒井町西端、旧東往来から1kmの山峡に所在する。曹洞宗の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が祖忍尼の寄進により、正和元年(1312)に創建。後醍醐天皇・足利尊氏・足利直義や在地守護などの庇護を受け、中世は30余の堂塔と20余の支院を擁する有力寺院であったが、近世には総持寺の末寺とされた。
近世後期再建の現伽藍は、簡素ながらも山門と法堂(仏殿を兼ねる)を結ぶ軸線の右側に庫裡、書院、方丈、浴室、左側に僧堂(座禅堂)、東司(便所)を配して回廊で結び、「永光寺方式」と名付けられる伽藍配置を残しており、回廊は伝燈院(開山堂)に続く。さらに、その奥の台上には径10m余、高さ5mの墳丘があり、「五老峰」と称され、如浄、道元、懐弉、義介、瑩山の遺物を収め、信仰の中心とすべきものとされている。庫裡の右側台上の三重塔跡は、暦応3年(1340)に尊氏、直義兄弟の発願により建立された能登国利生塔の跡である。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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