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更新日:2021年7月2日

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その他の事業(元年度)

事業概要

  • 令和元年度は、金沢城公園整備事業(県公園緑地課所管)に係る二ノ丸御殿の予備的調査、鼠多門・鼠多門橋といもり堀の出土品整理、報告書作成を行ったほか、石垣現況測量を実施した。
  • 二ノ丸御殿については、平成30 年度から着手した復元可能性に係る調査検討の一環として、予備的調査を実施した。鼠多門・鼠多門橋については、平成26年度から30年度にかけて実施した埋蔵文化財調査の成果のうち、門・通路等の遺構を対象とした報告書第一冊目を刊行した(鼠多門橋の遺構、出土遺物については令和2年度に報告書刊行予定)。またいもり堀の埋蔵文化財調査(平成10・12・15・16・18~21年度)に係る報告書を刊行した。
  • 石垣現況測量については、数寄屋屋敷周辺、尾坂門北東石垣の三次元計測・図化等を実施した。

二ノ丸御殿の予備的調査

  • 石川県では平成30年度に「金沢城二の丸御殿調査検討委員会」を設置し、その復元可能性について検討を行ってきた。
  • 令和元年度は、予備的調査として、地質調査(ボーリング調査)・石垣観察調査(建造物等痕跡の確認)等を実施した。

調査の概要

  • (ア)地質調査(ボーリング調査)

・二ノ丸御殿の最終地盤面
明治14年(1881)に御殿が焼失した後の整地層と考えられる、炭混じり層や瓦を多く含む層等を検出し、御殿地盤のおおよその高さが推定できた。
二ノ丸主要部:標高48.5~49.1m前後
数寄屋屋敷(二ノ丸西部):標高45.5~45.8m前後
・近代以後の状況
近代以後の造成土の厚さについて、おおよその情報を得た(推定される遺構面まで、現地表から50~100cm程度)。また、戦後に建造された金沢大学建物の範囲は、御殿地盤の下まで大きく攪乱を受けている可能性が高まった。一方、軍隊建物による攪乱は比較的軽微であると推定された。
・二ノ丸の造成と旧地形の状況
二ノ丸の北部から東部にかけての広い範囲で、厚さ最大約9mの盛土造成により、現況の郭が形成されていることが明確になった。盛土の大部分は、寛永8年(1631)の二ノ丸普請に伴うと考えられる。
地山の検出レベルから、寛永8年以前の縄張は、二ノ丸北東部(標高40~42m前後)、二ノ丸南部(47~49m前後)、二ノ丸北西部・数寄屋屋敷(44~45m前後)の三区画に大別される可能性がある。

  • (イ)石垣観察調査

・二ノ丸北面石垣上面では、建造物の痕跡(出窓腕木の据付痕等)は認められなかった。
・数寄屋屋敷との境界をなす石垣では、嘉永6年(1853)の普請と推定される階段石垣の取付痕跡を確認した。

  • (ウ)その他

・文化5年(1808)の大火後に再建された二ノ丸御殿の内装等に関する史料等を新たに確認した。
*「二之御丸御殿御造営内装等覚及び見本・絵形」(金沢市立玉川図書館蔵)
文化8年(1811)に加賀藩御大工の井上庄右衛門がまとめた二ノ丸御殿の内外装に関する記録。仕様書1冊・唐紙等の見本1冊・飾金具図面2冊の計4冊からなる。

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お問い合わせ

所属課:教育委員会金沢城調査研究所 

石川県金沢市尾山町10-5

電話番号:076-223-9696

ファクス番号:076-223-9697

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