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更新日:2010年3月18日

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妙成寺三光堂・三十番神堂・経堂

 妙成寺三光堂  (1棟)

  寛永元年(1624)  
  妙成寺  羽咋市滝谷町ヨ-1
 

妙成寺三光堂

重要文化財  昭和25年8月29日指定

堂内に日天・月天・明星天の三光天像を安置し、天下泰平・五穀豊穣と加賀藩主前田家の武運長久の祈願が行われてきた。別名は鎮守堂ともいう。
桁行5間、梁行5間、入母屋造り、平入り、柿葺の建物で、祖師堂の平面と似ており、ともに禅宗様(唐様)を基調とするが柱間寸法が、祖師堂の7尺(2.1メートル)に対し、三光堂が6尺(1.8メートル)、祖師堂の組物が三手先組であるのに対し、三光堂が平三斗組を用いるなど、三光堂の方が小型で簡略化されている。しかし、柱頭の粽や頭貫木鼻、台輪、拳鼻の形式、さらには内外陣の間仕切の手法や、内法貫上に欄間を入れる意匠などは、祖師堂と酷似している。
建立年代は確証がなく、寺伝は元和9年(1623)の建立とするが、寛永元年(1624)建立の祖師堂と精粗の差はあるものの、禅宗様を主調とした基本計画や手法・様式と共通点が多く、祖師堂を建立した建仁寺流坂上一統の手により、同年代に祖師堂とともに建てられたものと見ることができる。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

 妙成寺三十番神堂 (1棟)

  慶長19年(1614)  
  妙成寺  羽咋市滝谷町ヨ-1

妙成寺三十番神堂

重要文化財  昭和25年8月29日指定

3間社流造り、正面軒唐破風付、柿葺の神社建築。身舎は円柱で、亀腹に据えた野面石の基礎の上に柱を建てる。4周に切目縁を巡らし、浜床から7級の木階をかけて登り高欄とし、縁には擬宝珠高欄を付け、正面3間を板扉とする。組物は、和様三斗で、中備は4面ともに優美なかえる股を入れている。
向拝は、大面取り角柱を両端にだけ建て、3間待ち放しに虹梁を入れて1間とし、正面に軒唐破風を付け、水平の虹梁で身舎と繋いでいる。3間待ち放しの向拝にもかかわらず、柱・虹梁の木割が細く、全体に繊細で軽快な建造物である。
寺蔵の「日体覚書」に、「三十番神之本社並拝殿御建立、微妙院様大坂御出陣ニ付為御祈祷、寿福院様・微妙院様より慶長十九甲寅被仰付」とあり、加賀3代藩主前田利常の大坂冬の陣の出陣祈願のために建立されたことが知られ、別名を祈願堂とも称した。内陣に、日蓮宗と密接に関係する三十番神(毎日交替して国家守護の祈願を受ける全国30柱の神々)祀る。洗練された姿をもつ桃山様式の建築であり、前面に建てられていた拝殿は、神仏分離によって、明治6年(1873)羽咋市円井町の推葉円比め神社に移築されて現存する。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

 妙成寺経堂 (1棟)

  寛文10年(1670)  
  妙成寺  羽咋市滝谷町ヨ-1

妙成寺経堂

重要文化財  昭和25年8月29日指定

経堂は、加賀藩4代藩主前田光高の遺願によって建てられたもので、堂内には天海版一切経と応永22年(1415)版妙法蓮華経8巻分の版木64枚が納められている。
桁行5間、梁行3間、寄棟造り、妻入り、桟瓦葺。禅宗様(唐様)を基調とした簡素な建造物で、正面に3級の石段を設け、周囲に切目縁を巡らし、前面1間通りを吹放しとし、内部との境には中敷居を入れて格子戸を建て、他の3方は横羽目の板壁とし、背面中間に桟唐戸を入れる。内部は拭板敷とし、中央後方に禅宗様の須弥壇を設け、来迎壁をつける。来迎柱の上に禅宗様の三斗を組み、左右を虹梁で繋ぎ、梁上に大瓶束をたて、三斗組の上に格天井を張っている。
所用木材に「寛文十年二月十二日、能州滝谷□□三郎(花押)」「御大工三右衛門」の墨書銘があり、寛文10年(1670)の建立であることが知られるが、大工の系譜は明確ではない。斗きょうの曲線で木鼻の彫刻など、部分的に室町様式を思わせる古様が残されいる。
昭和60年「石川県の文化財」より

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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