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鎌倉時代
薬王院 加賀市山代温泉
重要文化財 昭和32年2月19日指定
大日如来を表現するのに、偶像的には仏像があり、抽象的には、五輪塔が標識とされている。インド哲学では宇宙の成立を地・水・火・風・空の5つのものから出来ていると考えられている。密教では更に理論的に形態化を考えた。すなわち空、風、火、水、地の形である。この形に大日真言空風火水地種字の字義が合致し、ここに世界に類例のない我が国独創の塔が平安時代に完成した。その後、時と共に形に少し宛の変遷があり、時代的特徴を見ることも出来る。
この五輪塔の各輪には、正面だけに5点具足という、密教行者の修行など、五つの階段を示す五つのそれぞれの記号を加飾した種字が見られる。上部の空輪・風輪は風化が甚だしいが、火輪・水輪・地輪には各蓮華台が立体的にデザインされ、蓮弁円相の中に刷毛書きの、5点具足を加飾した種字による大日真言が、薬研彫で彫られたのが明瞭に認められる。その美しさと、五輪の形態様式から見て鎌倉時代の作と思われる。なお、この塔が明覚の墓として伝わっているのは、平安時代の悉曇学(梵語)の我が国第一人者、明覚が加州温泉寺に住していたことに由来するものであろう。
昭和60年「石川県の文化財」より
明暦3年(1657) 山上善右衛門造
小松天満宮 小松市天神町一
重要文化財 昭和36年6月7日指定
小松天満宮(梯天満宮)は、明暦3年(1657)に、加賀藩3代藩主利常が、隠居城小松城の守護のため、鬼門に当たる梯川の北側に京都北野天満宮の社殿を模し、規模を縮小して造営したと伝えている。
加賀藩初期の建仁寺大工の代表者山上善右衛門嘉広の作であることが確実な建物の一つである。
本殿、石の間、幣殿、拝殿は権現造りの典型的なもので床板は張ってあるが、完全に石の間を残し、その天井は化粧屋根としている。本殿は、桁行3間、梁行2間、入母屋造り、平入り、千鳥破風付き銅板葺で、内部は黒漆で塗り、極彩色の精巧な透彫の欄間が入れてある。
拝殿は桁行7間、梁行2間、入母屋造り、平入り、千鳥破風付き、銅板葺で、3間の向拝は軒唐破風とし、向拝だけ三斗、かえる股とし、かえる股と大瓶束脇の見付彫刻と手挟は極彩色としてあるが、その他は白木造で、身舎も絵様肘木で桁を受ける簡略な手法であり、軒先も二軒疎たるきにしてあり、全体を和様でまとめている。
神門は、朱塗の四脚門。堂々とした建築で、社殿と同時に建てられ、細部の絵様繰形などは、社殿と共通して江戸初期の様式をもっている。神門と社殿の門の参道脇には小松市指定文化財の石造十五重塔があるが、これも創建当初のものである。
昭和60年「石川県の文化財」より
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