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加賀市大聖寺地方町古城山1番1外
指定面積 126,935.11平方メートル

国指定史跡
令和7年9月18日指定
大聖寺城跡は加賀市大聖寺の市街地西方に位置する。戦国時代には加賀一向一揆の拠点の一つであり、越前朝倉氏の侵攻に際しては度々占拠された。天正3年(1575)以降は織田・豊臣両氏が支配し、同11年(1583)には丹羽長秀の配下である溝口秀勝が、慶長3年(1598)には小早川秀秋の配下である山口玄蕃宗永が城主となった。同5年(1600)に前田利長に攻められ落城した後、元和元年(1615)の一国一城令で廃城になっている。
江戸時代に作製された大聖寺城の絵図には、城のほぼ中心に本丸、その北の二の丸、同じく南の鐘が丸、その周辺には三の丸、西の丸、東丸、戸次丸、対面所の曲輪(くるわ)や虎口(こぐち)、それらを連絡する道が描かれており、加賀市がこれまでに実施した縄張調査・測量調査の結果と概ね一致し、遺構が良好に保存されていることが裏付けられている。また、同じく実施した発掘調査では、本丸で石垣や石組溝、二の丸で空堀等を確認し、対面所で土師器が多く出土する等、新たな知見が得られている。
以上のように、大聖寺城跡は戦国時代の加賀国の地域支配の拠点であり、政治状況の変化を知る上で重要であり、価値が高い。
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