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更新日:2022年2月24日

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七尾城跡・鳥越城跡附二曲城跡

七尾城跡

室町・戦国時代
七尾市古府町竹町古屋敷町入会大塚14番1外(七尾市管理)
指定面積  277,554.08平方メートル

七尾城跡の写真
国指定史跡  昭和9年12月28日指定  平成23年2月7日追加指定  平成31年2月26日追加指定

七尾城跡は、七尾市街地から南東約5kmの石動山系の尾根筋、通称「城山(じょうやま)」に位置する。
    能登国守護職であった能登畠山氏の居城であり、永正~大永年間(16世紀前半)に府中の守護所から拠点を移した後、上杉氏の能登侵攻による落城、前田氏の入城を経て、天正10年(1582)には廃城になったと推定される。
    これまでに主郭等中心部分が史跡に指定されているが、今回は、登城道や城域の東の守りを固めたと推定される曲輪(くるわ)といった、七尾城跡の実態や変遷を考える上できわめて重要な遺構について、追加指定されるものである。

鳥越城跡附二曲城跡

白山市三坂町、別官町、釜清水町、上野町、出合町(白山市管理)
指定面積  286,620.64平方メートル
鳥越城跡附二曲城跡の写真1鳥越城跡附二曲城跡の写真2
国指定史跡  昭和60年9月3日指定

鳥越城跡・二曲城跡は、織田信長の攻勢に最後まで抵抗した白山麓一向一揆の拠点となった城跡である。
手取川とその支流大日川に挟まれた標高312メートルの丘陵上を利用して築かれたのが鳥越城で、一方大日川の対岸に相対する標高268メートルの独立峯上の山城が二曲城である。
鳥越城跡は本丸、二の丸、三の丸、後二の丸、後三の丸と呼ばれる5つの郭と3つの腰部によって構成されている。発掘調査によって、本丸跡及び2の丸跡から、礎石をもつ建物跡や、堀立柱建物跡が検出されている。また、桝形門、腰郭において石垣が検出されているが、特に首切り谷と呼ばれる空掘に面する石垣は高く険しい。建物の多くは、火を受けているが、青磁三脚香炉、白磁皿、染付碗、天目茶碗といった陶磁器類、刀、鉄砲玉といった武器類などが出土した。
手取川とその支流大日川流域の一向宗門・徒組織は山内惣庄(惣中)と称されたが、鳥越城と二曲城の城主は惣庄の指揮者であった鈴木出羽守である。
天正8(1580)年柴田勝家により金沢御坊が陥落するが、山内衆は抵抗を続け、鈴木一族が討たれ、落城した。翌年山内衆が蜂起し、両城を奪回したが、織田方の佐久間盛政によって鎮圧された。更に翌年再度蜂起するが、300人余りが礎刑に処され、加賀一向一揆は壊滅した

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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