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室町時代
鳳珠郡能登町字松波ラ字1番1等
指定面積 6644.23平方メートル
国指定名勝 平成24年1月24日指定 令和5年9月28日追加指定
松波城は、中世における能登国最大の荘園であった若山荘の有力武士で、能登国守護職の畠山氏の一族でもあった松波氏の居城であり、天正5年(1577)の上杉謙信による能登侵攻に伴って落城したとされる。
松波城を構成する丘陵の東南端部付近には、標高約15m、面積約600平方メートルの平坦な地形が存在し、建物、景石及び円礫敷から成る枯山水の流れなどの建築・庭園の遺構が発見された。
建物は庭園に付随する四阿とその付属建物であると考えられ、軒先からは、枯山水の流れを望むとともに、松波川河口域から海への良好な展望が意図されていたもののようであり、建物及び庭園は、城内における迎賓の場として使われたものと考えられる。
枯山水の流れは、延長が約8.7m、幅が0.3~1.3mの範囲に残されており、流れの起点には、やや小振りの景石を中心として、その下方の景石にかけて小さな円礫を渦巻き状に据え、岩間から湧き出ずる水の姿を表現している。上流から下流にかけて、大小19の景石を配置し、それらを結んで緩やかに蛇行するかの如く円礫を敷き詰め、山間部の清流を表現し、円礫は時に縦方向の小端立てに連続させて勢いのある流れを象り、要所に据えられた景石の周囲や緩やかに湾入・突出する部分には平らに敷き詰めて静穏な水の淀みを表すなど、その変化に富んだ意匠・表現手法には他に類例を見ない傑出したものが見られる。
松波氏は、当時の有力貴族であった日野氏の被官として在京し、洗練された庭園文化を摂取する素地を十分に備えていたとみられ、枯山水の流れの遺構は、松波氏が京都から受容した迎賓における作庭の理念のみならず、この地に固有の石材を使って独特の意匠・工法を定着させたことを示している。
旧松波城庭園は、当地への庭園文化の伝播及び独特の意匠・工法の定着を示す物証であり、庭園史上の価値は高い。
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