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更新日:2010年4月20日

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天徳院山門・白山比咩神社本殿

天徳院山門  (1棟)附棟札1枚

元禄6年(1693年)  
天徳院  金沢市小立野4丁目4番4号

 

天徳院山門 附棟札1枚

県指定文化財  平成19年12月25日指定

 

徳院は、元和9年(1623年)に加賀藩3代藩主前田利常が、正室珠姫菩提のため建立したものであり、明和5年(1768年)2月1日庫裏より失火し伽藍の大半を焼失したが、山門は災を免れた。現在その当時の建物として残っているのは山門のみであり、伽藍建立当初の唯一の遺構として貴重である。山門は入母屋造り、平入り、本瓦葺の建物である。3間1戸の2階二重門で、禅宗様と和様の折衷様式となっている。両脇に桁行2間、梁間1間、切妻造り、桟瓦葺の山廊がつく。石製礎盤上に粽付き円柱をたて、柱上に頭貫・台輪を通して先端を木鼻とし、組物は和様、平三斗組を詰組に配する。1階は中央1間を通路とし、前面両脇に一対の仁王像を安置する。屋根は二軒平行繁垂木。正・背面の中央柱間の位置に虹梁を架し、内部は格天井を張る。2階の屋根は扇垂木、組物は禅宗様、出組である。4周には切目縁をめぐらし、逆蓮柱の高欄をたてる。なお、建物に安定感を与えるため、中央柱間は1・2階とも同一寸法にとり、2階の両脇柱間の寸法をせばめている。また、棟札によれば、元禄6年(1693年)10月10日上梁、工匠山上伊左衛門吉永、安田善次郎正納となっている。山上伊左衛門吉永は前田家御大工として数々の名建築を残した名匠山上善右衛門嘉広の子であり、天徳院山門は、善右衛門の遺風をよく伝えている名作である。以上のことから、天徳院山門は江戸時代中期の貴重な遺構としての価値が極めて高く、両脇2間の山廊と合わせて有形文化財に指定し、その保存を図ることが必要である。なお、この棟札は附とする。

 

白山比咩神社本殿

江戸時代中期  
白山比咩神社  白山市三宮町ニ105番地1

白山比咩神社本殿

 県指定文化財  平成19年12月25日指定

 

山比咩神社は、奈良時代以前の創建といわれ、文明12年(1480年)に現在の地に遷座した。天長9年(832年)に白山の三馬場(加賀、越前、美濃)が開かれた後は加賀馬場の拠点として一大勢力を形成。一時期弱体化したが、前田利家により再興された後は、歴代藩主より厚い保護を受けてきた。白山比咩神社本殿は、木割が大柄な3間社流造りの大規模な建築物である。主屋は3間に2間で、その正面に庇の間、向拝がつく。二軒繁垂木で、妻飾りを二重虹梁大瓶束とし、破風の拝懸魚、降懸魚には蕪懸魚を打ち、拝懸魚には彫刻の鰭を付ける。主屋の板壁は横板壁とする。本殿は、柱・組物・蟇股・高欄・蔀など和様と、海老虹梁・二重虹梁大瓶束など禅宗様(唐様)とが混在している。内陣は、脇の間と妻の間を同寸法に設計し、内柱を設けないで広い空間を設定し、一段高くして厨子が安置される。外陣には4本の大きな海老虹梁が架けられる。細部意匠には、木鼻の渦、虹梁の絵様(渦・若葉)に伊須流岐比古神社本殿などと類似の特徴がみられ、これらの渦は、3曲線または4曲線を用いている。建築年代については、白山比咩神社所蔵の普請に係る史料(図帳)及び正遷宮の時期から、明和5年(1768年)8月から同7年(1770年)4月の間と推定できる。なお、当時の神主が本殿に棟札を掛けることを拒んだため、作事が同時に成就した本地堂に、本社・本地堂共通の「白山本社本地堂御造営棟札」が掛けられることになったとみられる。また、建物の木割は大柄で、太い垂木、蟇股内部の平面的な彫物など、細部は建立年代よりもやや古い様式もみられ、簡明な中にも、荘厳な雰囲気を見せている。以上のことから、白山比咩神社本殿は江戸時代中期の地方大社の貴重な遺構としての価値が極めて高い。

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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