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更新日:2010年8月17日

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夕顔亭・ 旧津田玄蕃邸玄関

夕顔亭  (1棟)

江戸後期  安永3年(1774)
石川県
金沢市兼六町1-1

 

夕顔亭

県指定文化財  平成元年10月23日指定

別名勝「兼六園」の蓮池庭に所在する夕顔亭は、11代加賀藩主前田治脩が安永3年(1774)に建造した数寄屋である。初め、「瀧見の御亭」、「中島の茶屋」などと呼ばれていたが、本席控之間の床の袖壁に夕顔(瓢唐草)の透しがあることから「瓢庵」、「瓢々庵」ともよばれ、さらに転じて「夕顔亭」とよばれ、現在に至っている。この建物は、茶室と控之間と水屋と給仕の間(勝手)の4部屋からなる数寄屋で、小さい宝形茅葺の屋根を二つ入り違いに並べ、正面から西側にかけて柿葺の下屋をもつ美しい建物である。茶室は、南面し、3畳台目、下座床に相伴畳が付くという古田織部好みの茶室で、京都の藪内家にある燕庵(重要文化財)と同系統の茶室であるが、床の間の前に幅8寸1分の板を入れ、席を広くしていることや、縁をめぐらし壁が少ないなど燕庵に比べて著しく開放的である。燕庵が主客とともに茶に浸るという茶室本来の姿をもつのに対して、夕顔亭は瀧見の茶屋として工夫されたものとなっており、大名庭園にふさわしい茶室といえよう。兼六園発祥の地である蓮池庭には、かつては4つの御亭(数寄屋)が置かれたとされているが、現存するのは夕顔亭のみである。この建物は一時期、民間の管理下におかれ料亭の一部に使用されるなど旧態が損われていたが、県が直接管理することとなり、昭和44・45年に大がかりな半解体修理が行われた。改修にあたっては、名勝地域内に存する建物であることより、文化庁の指導を受け、文化財としての価値を損うことがないよう、万全の注意がはらわれ、確実な資料に基づき当初の姿に復元されている。 

 

旧津田玄蕃邸玄関  (1棟)

江戸時代後期
金沢市兼六町1-1


旧津田玄蕃邸玄関

県指定文化財  平成3年4月11日指定

と金沢市内大手町にあった禄高1万石の加賀藩家老津田玄蕃邸の遺構で、宝暦の金沢大火後に建てられたものと伝える。この建物は、明治3年(1870)に加賀藩が津田邸に医学館を創立して以来、石川県金沢病院、金沢医学校、第四高等中学校医学部、金沢医学専門学校附属病院の一部として使用され、明治45年以後は「乃木会堂」として維持された。大正12年3月に現在地に移築された後は「兼六会館」となり県が多目的に使用し、現在は兼六園事務所となっている。こうした経緯から、建物は内外とも度重なる改造を受けてはいるが、旧態を残している玄関式台や建物外観の一部に高禄の武家邸宅の様式を窺うことができる。入母屋造、大破風、妻入の母屋正面に突出する玄関は、殿舎車寄形式の唐破風造で、正面に飛貫を用い荒い菱格子欄間を入れ、天井は格天井とする堂々としたもので、現在県内に残る1万石以上の高禄武家邸宅の玄関遺構としては唯一のものである。なお、母屋は改造されているとはいえ、玄関と一体化して武家屋敷の姿をしのばせる貴重な建物であり、かつ、本県近代医学発祥の記念碑的建物としても、その歴史的・文化的意義は高い。加えて、玄関の文化財的価値を維持する上で欠くことのできないものであり、母屋を含めた建物全体を保存する必要がある。

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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