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更新日:2010年9月21日

気屋遺跡・石の木塚

気屋遺跡

かほく市気屋コの部、ワの部の一部、酉の部の一部

気屋遺跡遠景気屋遺跡看板
県指定史跡  平成11年7月23日指定

気屋遺跡は、かほく市気屋地内の、通称高畠と称する丘陵の南斜面に立地する、縄文時代後期を中心とした集落遺跡である。
遺跡は丘陵斜面約15,000~20,000平方メートルの範囲に広がり、斜面東側と西側の谷部約1.5m下の地層から、多量の縄文時代後期の土器(気屋式土器)及び魚骨や獣骨片、更には土偶が出土した。また、それら出土遺物に伴う縄文時代の住居跡が、谷の上方で確認されている。
気屋式土器の特徴は、頸部や口縁部に施された三角形刺突文と頸部に施された沈線による幾何学的文様等にある。昭和25年、縄文土器研究の第一人者であった山内清男博士が、地元の考古学研究者の採取した土器を実見し、関東地方における縄文時代後期前葉の堀之内式土器に並行する土器型式として、気屋式の名称を与えた。以後、北陸の縄文時代後期の標式土器として重要な位置を占めるとともに、出土遺物及び住居跡等の様相から、当時の生活環境をうかがえる貴重な遺跡として知られている

石の木塚

白山市石立町174

石の木塚
県指定史跡  平成12年8月29日指定

石の木塚は、手取川扇状地の扇端部に位置し、北西約200mで日本海に達する。現在は白山市石立町に属し、立石の存在は町名の由来ともなっている。
「石立」の名が最初に文献に現れるのは、嘉元2年(1304)~同3年(1305)頃の成立とされる『遊行上人縁起絵』であり、遅くともこの頃には、石の木塚が存在していたと考えられる。
石の木塚は、5基の四角柱状に加工された立石により構成される。その配置は、約12尺四方の方形プランを基本とし、中心及び四隅に1基づつの立石を配するもので、四隅の立石は、中心立石のほぼ東西南北に位置している。
平成5年の試掘調査では、中心立石付近より10世紀後半~11世紀前半の土師器が出土しており、立石が10世紀代に造立されたとすれば、水陸交通の要衝であった比楽駅、加賀の国津比楽湊に近接して存在した古代交通路関連の遺跡であった可能性が高い。
石の木塚は、その性格については不明とされながらも、古来より奇石として広く知られ、浦島太郎伝説等にまつわる多くの説話や信仰の対象となりながら、現在まで変わらぬ姿で保存され続けている貴重な遺跡として、高く評価することができる

 

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