ホーム > 観光・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 文化財 > 石川の文化財 > 書跡・典籍(国指定) > 三代嗣法書・韶州曹溪山六祖師壇経 紙背仮名消息・仏果碧厳破関撃節 (一夜碧巌集)
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鎌倉時代末期~南北朝時代初期
大乗寺 金沢市長坂町ル-10
(石川県立美術館保管 金沢市出羽町2-1)
鎌倉時代
大乗寺 金沢市長坂町ル-10
(石川県立美術館保管 金沢市出羽町2-1)
鎌倉時代
大乗寺 金沢市長坂町ル-10
(石川県立美術館保管 金沢市出羽町2-1)
重要文化財 昭和25年8月29日指定
名称は内題による。外題には「一夜碧巌集」とあり、一般には「碧巌録」の名で知られる。禅宗とくに臨済宗で重んじられる典籍である。
宋の雪竇重顕(980~1052)が禅修行の公案から100則を選び、自ら頌を付したものに、臨済宗の圜悟克勤(1063~1135)が著語と称する評釈を加えたもので、禅修行のすぐれた指南書として知られている。
本書は、道元(1200~1253)が、南宋の宝慶3年(1227)冬に帰朝する直前、師の天童如浄から指示され、急遽一夜で書写したという伝承があり、「一夜碧厳集」と称されるようになった。とくに下巻81則以下は、夜明け直前に白山権現が現われて助筆し、完了したと伝えられる。
はじめ越前永平寺に伝えられたが、永仁5年(1297)の同寺の大火後、大乗寺に寄せられ、応長元年(1311)頃、瑩山紹瑾から一時大乗寺の管理を委ねられた臨済宗の恭応運良に託され、康永4年(1345)に再び大乗寺に帰入されたもののようである。
一般に流布される「碧厳録」と異なり、序・跋がなく、組織や文字にも一致しない点があるなど、書誌学的にも注目されている。
写真は、書写に白山権現の加護が現われたとされる下巻81則の部分。
昭和60年「石川県の文化財」より
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