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更新日:2010年9月14日

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三代嗣法書・韶州曹溪山六祖師壇経 紙背仮名消息・仏果碧厳破関撃節 (一夜碧巌集)

 三代嗣法書(1巻)

  鎌倉時代末期~南北朝時代初期
  大乗寺  金沢市長坂町ル-10
  (石川県立美術館保管  金沢市出羽町2-1)

三代嗣法書

重要文化財  昭和25年8月29日指定

これは、加賀大乗寺の開山徹通義介(義監)・2代瑩山紹瑾(永光寺及び総持寺開山)・3代明峰素哲(永光寺2代)の3代にわたる嗣法書、すなわち弟子が師の法統を受け継ぐ際に記される証状で、初期曹洞教団の嗣法を示す好資料であるとともに、祖師たちの個性的な筆勢を伝える貴重なものである。
第1通は、大乗寺2代を継いだ瑩山に示した嘉元4年(1306)の徹通の嗣書で、徹通の受け継いできた法脈を瑩山に教示し、相伝を証明した付法状である。
第2通は、正中2年(1325)に瑩山が明峰に能登永光寺住持の座を譲ったときの譲状。第3通はこれと同じ頃、瑩山が明峰を永光寺僧録に任命した置文で、この2通には、永光寺に伝わるけい山の木印が朱で捺されている。
第4通は、康永4年(1345)に『一夜碧厳集』及び『棕櫚払子』の大乗寺帰入について記した証状である。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

  韶州曹溪山六祖師壇経 紙背仮名消息(1帖)

  鎌倉時代
  大乗寺  金沢市長坂町ル-10
  (石川県立美術館保管  金沢市出羽町2-1)

韶州曹溪山六祖師壇経  紙背仮名消息

重要文化財  昭和25年8月29日指定

「六祖大師法宝壇経」ともいう。中国の韶州にある曹溪山南華寺に住した禅宗第6祖大鑑慧能(616~713)が、韶州の刺史(地方長官)の請いに応じて、大梵寺講堂で行った法話を弟子が筆録したと伝えられているものである。全10章からなり、禅の修行と悟道の要旨を説いたものである。古来数種の異体が知られ、敦煌本が最古といわれるが、次いで古いのが、この大乗寺本と興聖寺本であると考えられている。
流布本は、後人の付加もあり、元代に編集されたのに対し、大乗寺本は、鎌倉時代を下らない古写本で、流布本よりも先行し、字句・構成に原型に近い素朴さをとどめている。
折本で、朱で句読点や送り点がつけられ、巻末の奥題下に、「道元書」の3字が見え、後筆ともいわれるが、道元自筆本の転写と考えられる。紙背に仮名消息がある。

写真は、巻首と巻尾。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

仏果碧厳破関撃節 (一夜碧巌集)(上下2冊) 

 鎌倉時代
  大乗寺  金沢市長坂町ル-10
  (石川県立美術館保管  金沢市出羽町2-1)

仏果碧厳破関撃節 (一夜碧巌集)

重要文化財  昭和25年8月29日指定

名称は内題による。外題には「一夜碧巌集」とあり、一般には「碧巌録」の名で知られる。禅宗とくに臨済宗で重んじられる典籍である。
宋の雪竇重顕(980~1052)が禅修行の公案から100則を選び、自ら頌を付したものに、臨済宗の圜悟克勤(1063~1135)が著語と称する評釈を加えたもので、禅修行のすぐれた指南書として知られている。
本書は、道元(1200~1253)が、南宋の宝慶3年(1227)冬に帰朝する直前、師の天童如浄から指示され、急遽一夜で書写したという伝承があり、「一夜碧厳集」と称されるようになった。とくに下巻81則以下は、夜明け直前に白山権現が現われて助筆し、完了したと伝えられる。
はじめ越前永平寺に伝えられたが、永仁5年(1297)の同寺の大火後、大乗寺に寄せられ、応長元年(1311)頃、瑩山紹瑾から一時大乗寺の管理を委ねられた臨済宗の恭応運良に託され、康永4年(1345)に再び大乗寺に帰入されたもののようである。
一般に流布される「碧厳録」と異なり、序・跋がなく、組織や文字にも一致しない点があるなど、書誌学的にも注目されている。
写真は、書写に白山権現の加護が現われたとされる下巻81則の部分。
昭和60年「石川県の文化財」より

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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