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江戸時代前期
石川県立美術館 金沢市出羽町2ー1
重要文化財 昭和40年5月29日指定
雌雉の形をした高炉で、腰部で上下2つに分かれ、背中の部分に煙出し穴が4つあり、上下にそれぞれ仁清の幕印が押されている。
その姿は、毛縫いをするために、頭を後ろに向け、尾先を斜め上方にもたげており、色絵の装飾は濃淡の銀彩で絵付けされ、東部にだけ赤を主調とする色絵が施されており、全体として沈んだ美しさをたたえている。
江戸時代
医王寺 加賀市山中温泉薬師ワ-1
高さ 48.5センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
寺伝によれば、九谷焼の創始者といわれる後藤才次郎と田村権左右衛門が、九谷焼の成功を喜んで寄進したものと伝えられる。金剛童子の名称は、明治33年(1900)年に、明治天皇の天覧に供した際、命名されたといわれている。
九谷焼の初期の作品として、こうした陶像は極めて珍しく、天をつく怒髪、紙背に徹するようなするどいまなざしは、若さとたくましさを充満しており、いかにも最初に全精力を投げうって完成させた作品の力強さをみせている。上半身の部分は黒褐色の鉄釉が厚くかけられており、手に持つ剣の下半分や足の部分にみられる深い緑釉は、九谷焼初期の古九谷のもつ独特の深い色調に通ずる趣をもっている。
早くから一部の研究家の間に、九谷焼初期とするよりも、交趾風に近いとする意見が出されているが、今後の九谷古窯の調査と相まって、研究がのぞまれている。
昭和60年「石川県の文化財」より
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