ここから本文です。
江戸時代初期
妙成寺 羽咋市滝谷町ヨ-1
縦 93.6センチ 横 38.3センチ 高さ 25.1センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
直截で均衡のとれた形態は簡素で美しい。表面の図柄は松・橘・椿等の茂る土坡と波を描き、繁みの中には巣立ち近い5羽の雛を育む親鶴を中心にして、舞飛ぶ鶴や、亀の遊ぶ水際などの明るい山水風景で、繊細巧妙な蒔絵の技法を駆使しながらも力強い豪華さがある。
一部金貝類の剥落しているのは惜しまれるが、松・波・下草・雲霞などや唐草蒔絵等図柄も良く技量も非凡で、むしろ桃山時代の雰囲気を偲ばせる逸品である。図中に葵の紋が散らされているが、別掲の同寺蔵、料紙筥と共に浩妙院の遺愛品である。
浩妙院は3代藩主前田利常と夫人天徳院との間に生まれた長女で、2代将軍徳川秀忠の養女となり、寛永3年(1626)に美作国津山侯森忠政の嫡子忠広に嫁したが、寛永7年(1630)、18才で没している。利常が愛娘の遺品を妙成寺に寄進したものといわれている。
昭和60年「石川県の文化財」より
江戸時代初期
妙成寺 羽咋市滝谷町ヨ-1
縦 29.7センチ 横 33.2センチ 高さ 11.8センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
長方形で切面取、印籠蓋造りの箱であり、直線的に構成された簡素で力強い形状である。蓋表から側面にかけての菊、桔梗、萩等、秋草の咲く土坡と流水の図柄には、美しい螺鈿や金銀の切金を鏤め、肉合研出蒔絵の精緻精巧な技法を駆使している。
内部や裏面は金梨子地である。加飾全般にわたり桃山時代の俤を偲ばせる優品で、特にりんどう、笹、下草や波等には特有の意匠力と際立った技術の冴を見せ、優美で力強い。
別掲の同寺所有の重要文化財山水蒔絵机と対であり、共に浩妙院の遺愛品として妙成寺に寄進されたものと思われる。
昭和60年「石川県の文化財」より
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
同じ分類から探す