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所在地 鳳珠郡能登町及び穴水町地内
(鵜川のイドリ祭り保存会 能登町)
〔餅改めの様子〕
県指定無形民俗文化財 平成20年4月28日指定
鵜川のイドリ祭りは、鳳珠郡能登町鵜川の菅原神社で、11月1日から8日に行われる収穫感謝祭である。「イドリ」とは、非難することを意味し、祭りのしぐさに親しみを込めて、祭りの通称となったものである。
祭りは、当地の有力な地主であった伝兵衛が主賓となり、穴水町を含む6地区12組で行っている。2組が当番となり輪番制で執行される。この仕組み・運営は天文3年(1534)に現行のように整えられたとされている。
11月1日に、当元が玄関前にオハケを立てることから祭りは始まる。オハケとは長さ約5メートルの青竹に御幣、榊を取り付けた神降臨の目印である。その後、各家から米を集め、餅をつき、大鏡餅・トウシ餅・小餅を作り、同神社へ献納する。
7日の夜、主賓の伝兵衛を迎えるのに、当番が7回使者を派遣し、8回目の途中で伝兵衛と出会い揃って同神社に入る、7度半の使いが行われる。各組の代表は羽織袴、伝兵衛は裃姿で、古式通り決められた座席につき祭りを始める。直会の膳が運ばれると、神饌とされた餅について、形・色・大きさ等についてイドリ(非難)と弁護の問答を重ねる餅改めにはユーモアがあふれる。
やがて神職が仲介に入って、餅のできばえについて了解を受け、来年の当番へ引継ぎ式をする。8日のオハケ倒しをもって祭りは終わる。
祭り行事の内容及び祭祀組織は古来の伝統を伝えており、地方色豊かな祭礼行事として民俗学的に貴重であり、無形民俗文化財に指定し、その保存を図ることが必要である。
所在地 金沢市地内
(加賀とびはしご登り保存会 金沢市)
県指定無形民俗文化財 平成21年12月1日指定
加賀鳶は、享保年間(1716~1735)に加賀藩五代藩主前田綱紀により、これまであった江戸本郷の前田家上屋敷(現東京大学)の消防組織を、拡充強化した自衛消防隊が起源といわれている。 その加賀鳶による”梯子登り”は、当時、火災現場で使用された梯子にいち速く登り、高い所から風向きや周囲の状況を的確に把握して、消火活動の助けにしたことがはじまりであったと伝わっている。 明治2(1869)年に前田慶寧が金沢に加賀鳶を呼び寄せて、藩の火消役として配置させており、江戸文化の流れをくんでいる。現在では、金沢市第一消防団から第三消防団により昭和48(1973)年に結成した「加賀とびはしご登り保存会」が、威勢と気魄を信条とした大名火消の伝統的な技を伝えている。 明治以来、消防組から警防団・消防団へと技を伝えてきたが、昭和45(1970)年に技を統一し、現在では、指揮者・纏持ち・演技者・梯子持ち・鳶口持ち・木遣隊により、加賀鳶木遣くずしを歌って始まる。 演技は、梯子の頂上から火事の状況や風向きなどを確認する「火の見」に始まり「敬礼」で終わる27種の技を1人がすべてを通して演技する。分団毎に、梯子持ちが高さ約6メートルの竹製の梯子を、長鳶口(長さ2.5メートル)、短鳶口(長さ1.3メートル)各4本の8人で支え、演技中はほかにもう1人が梯子を両手で支える。演技者は、法被・ぱっち・腹掛け・腕抜きをつけ、帯で結び、頭に手拭いを結ぶ服装で、梯子に登り、演技が決まったときには「はいー」と掛け声を発する。 周辺の纏持ち及び鳶口持ちは、演技者の「はいー」に続き「やー、やー」と掛け声で応える。 このように「加賀とびはしご登り保存会」により、伝統的な技が伝承されており、演技に使用する梯子についても、地元の竹細工職人から教わった伝統的な技術により作製している。また、定期的な練習を行うとともに、子どもへの伝承事業を開催するなど、伝統文化の保存と後継者の育成に努めている。 加賀鳶梯子登りは、「加賀とびはしご登り保存会」により、正月の出初式や金沢百万石まつりなどで公開されており、県民に最も親しまれている民俗芸能の一つである。 伝統的な技や保護団体のあり方は、地域的特色を示すもので民俗学的に貴重であり、無形民俗文化財に指定し、その保存を図ることが必要である。
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