ホーム > 観光・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 文化財 > 石川の文化財 > 民俗文化財(県指定) > かんこ踊・輪島市名舟御陣乗太鼓・能登のまだら
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所在地 白山市白峰
(かんこ踊保存会 白山市白峰)
〔変装踊り〕
県指定無形民俗文化財 昭和35年5月27日指定
白山麓の白峰地区に伝わる古い踊り。名称は羯鼓(かっこ)をたたいて踊るからとも、カンコ(腰に下げる蚊遣火)を腰に下げて踊るからとも、さらに神迎の踊りの儀で、白山での修行を終えて下山する泰澄大師を迎えた時の歓喜の踊りに起源するなど、いろいろの説がある。もとは白山の登り口の市ノ瀬地区を中心に伝承され、白山開山の日をはじめ節供・盆・祭りなどに歌い踊られたものが、白峰地区全域に広まったと言われている。
庭踊り・座敷踊りなどがあり、庭踊りは盆や祭りに、座敷踊りは祝宴などに踊られる。踊りの様式は、踊り手2人、カンコ打ち2人、歌い手1、2人が最少限度の一組で、服装は、盆踊りなどには浴衣姿で大勢が円陣となり、右手に手ぬぐいを持って踊る。保存会が正式に踊る時は、神主・神子(みこ)姿または野良着姿である。
踊りの輪にカンコ打ちが加わり、「河内(こうち)の奥は朝寒いとこじゃ 御前の風を吹きおろす」といった美しい歌が流れ、かん高いカンコの響き、「モウタリモウタリモウタリナ」の囃子詞(はやしことば)など、古雅で清澄、白山麓にふさわしく、地方色豊かな踊りとして重要である。
昭和60年「石川県の文化財」より
所在地 輪島市
(名舟御陣乗太鼓保存会 輪島市名舟町)
県指定無形民俗文化財 昭和38年7月3日指定
輪島市名舟町にある白山神社の7月31日から8月1日にかけての大祭りに演じられる太鼓打ち芸。7月31日夜、白山神社の神輿が海浜に渡御してお仮屋に一泊し、翌日帰社するとき太鼓山が先駆となる。住民の曳く太鼓山に、異様な扮装をした仮面の者が2人ずつ乗り込んで太鼓を打ちならす、これが本来のものである。
近年は、観衆の要望にこたえて海浜の特設舞台で演技する。大太鼓を中央に据え置き、夜叉面をはじめ種々の仮面の者が順次あらわれ、地打ちとともに太鼓を打ち込み、最後は回り打ちで激しく打ち切る。全体が序・破・急の構成をとり、迫力のある太鼓打ち芸を演ずる。
名称の「御陣乗」は、奥能登で神輿の渡御をさすゴジンジョ(御神事)にもとづく。この御神事の太鼓打ちが発展して芸能化したのが、今の御陣乗太鼓である。奥能登の祭礼行事における太鼓打ち芸の代表的なものとして重要である。
昭和60年「石川県の文化財」より
所在地 七尾市・輪島市河井町・輪島市輪島崎町
(七尾まだら春風会(しゅんぷうかい)、 七尾市作事町、輪島まだら保存会 輪島市河井町・鳳至町、輪島崎(わじまさき)まだら・あのり保存会 輪島市輪島崎町)
〔輪島まだら〕
〔輪島崎まだら・あのり〕
県指定無形民俗文化財 昭和41年7月8日指定
能登半島を中心に歌われている「まだら節」は、その歌われる地名を冠して「七尾まだら」「輪島まだら」などと称される。もとは、漁師や北前船の船乗りたちが、正月11日に行われる起舟の祝い唄として始められたと伝えられ、のちには、家の新築や元服・婚礼などの祝儀の祝い唄として唱和されるようになった。とくに輪島では、祭礼や漆器職人の年季明けの祝儀唄としても歌われている。その悠長温雅な曲節や、歌詞の中の産み字(母音)の部分を長々と引いて、斉唱あい和する勇壮な歌い方が特徴で、例えば、「めでためでたの若松様は、枝も栄ゆる葉も茂る」という本唄だけでも、手拍子が約81回ゆるやかに打たれるほどである。また、「輪島崎まだら」は、別に「あのり」ともいわれ、漁師の航海安全を祈る「安乗り」の意と伝えられる。
まだら節は七尾市作事町・輪島市河井町・輪島崎町以外に能登島・波並や加賀のかほく市大崎、越中の魚津・放生津でも歌われ、類似の海の祝い唄としては金石港の舟玉節、美川港の「ごんしゅ(御酒)」などがある。九州長崎の馬渡島から発祥したといわれるこの唄は、日本海を北上し、秋田県の男鹿半島にいたるまで広く伝播した海の男たちの祝い唄として貴重である。
昭和60年「石川県の文化財」より
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