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更新日:2010年6月18日

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河北門の石垣解体調査(20年度)

北門の復元整備に伴い、ニラミ櫓北面石垣・一ノ門頬当石垣の一部について解体調査等を行った。

  • 調査期間 平成20年4月7日~8月22日
  • 調査面積 1,140平方メートル

主な成果

ニラミ櫓石垣

  • ニラミ櫓台の北面石垣は、金沢城石垣編年2期(慶長期)の創建と見られる現状高約10mの石垣である。近代に失われた櫓台石垣を復元するにあたり、石垣上部の解体修理が必要とされたことから、工事併行で調査を実施した。範囲は幅約15m、石積みにして5段分である。
  • 調査の結果、石垣は背面盛土と一体施工ではなく掘方内に構築されていること、築石は控え長1m前後で形状が規格化しておらず自然面を多く残すこと、裏込めは栗石を充填し幅数十cmと狭いこと等、内部構造の特性を確認した。石垣表面には宝暦火災時の鉛滴が付着することから、大部分が被災後の解体修理の範囲外であることがわかるが、石積みに乱れがあるなど修理の形跡も認められ、18世紀前半以前に解体修理を受けた可能性が高い。
  • 一方、被災後に修理を受けた櫓台北東隅では、改修範囲外の石材の破損面を削り取って新たに板材を充て、鉛チキリで補強した箇所が認められた。修理範囲と非修理範囲を違和感なくすり合わせるための化粧的な補修であろう。

一ノ門頬当石垣

  • 一ノ門頬当石垣は現地表から高さ約2.4m、幅約4.3mを測る切石積石垣で、東西とも部材は残っていたが、石積みに緩みが生じていたため解体修理を実施した。
  • 調査の結果、石垣内部は栗石と戸室石チップを充填していること、石垣と石段は一体施工であること、天端石には鉛チキリが伴うこと、部分的ながら鉄製のクサビやカスガイを敷き金として使用すること等、石垣内部の施工法を確認した。
  • 西石垣の内部から、石材の間に挟まるようにして寛永通宝が4点出土した。内3点は角石(A6-9)の上から見つかった。
  • 解体材の多くに鉛滴の付着や表面の変色が認められた。これらが宝暦火災に伴って生じたものとしてよければ、火災後の一ノ門石垣の修理は旧材の積み直しを原則とし、新補材への交換はごく僅かであったことになる。

その他(河北門成立以前の遺構)

  • ニラミ櫓北面石垣の背後に、石垣構築以前の土塁の残欠を確認した。遺構の重複関係から、土塁は河北門1 期段階に構築され2 期まで存続し、3 期のニラミ櫓台拡張時に内部に埋没したことがわかる。
  • 一ノ門西石垣の南側で、2 期の整地面を掘り込み、3 期の整地層で覆われた栗石充填土坑を3基検出した。礎石建物の根固めと考えられ、位置関係から一ノ門に先行する2 期段階の「初期河北門」の遺構である可能性が高い。

 

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所属課:教育委員会金沢城調査研究所 

石川県金沢市尾山町10-5

電話番号:076-223-9696

ファクス番号:076-223-9697

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