建造物の調査(7年度)
事業概要
金沢城の御殿に関する基礎的検討を進め、その意匠や技術、変遷等を明らかにする。
令和7年度は、金沢城の御殿建築の建築史上の特徴を検討するため、県内に現存する関連建造物(旧津田玄蕃邸)の詳細調査、および城郭御殿の事例調査等を行った。なお、調査にあたっては、金沢城調査研究御殿空間専門委員会委員の現地指導を受けた。
調査の成果
ア 関連建造物《旧津田玄蕃邸(金沢城・兼六園管理事務所分室)》の詳細調査
柱・大引材について、部材の取付痕・仕上げ・番付の墨書等(組立番付・解体移築番付)の状況から、当初材(近世の部材)がそのまま用いられていると判断される部分が見つかった。これにより、当初(近世)の部屋割りの復元ができた。
【絵図調査】(金沢市立玉川図書館・加賀本多博物館・石川県立歴史博物館)
加賀八家・人持の絵図(約50点)を調査した。本多家・村井家を除き、宝暦大火以前と以後で武家住宅の平面構成に特徴が現れることが分かった。宝暦大火以前は式台棟が広間・書院棟と別棟で建てているのに対し、宝暦大火以後に作られた津田玄蕃邸・横山家邸などは一棟で建てられていることが分かった。以上は津田玄蕃邸および金沢城二ノ丸御殿をはじめとする加賀藩武家住宅の特徴を検討する上でも重要である。
イ 金沢城二ノ丸御殿の柱間装置の調査
・引違い雨戸から引通し雨戸へ変化する時期について、絵図面を元に調査した。
・安永2年(1773)の絵図によれば、御居間・御用之間の縁で引通し雨戸を確認できるのが初見。その後、御広式にも用いられる。文化度再建の際は、表向きの松の間・奥書院にも用いられる。
・一方、引違い雨戸のままの部屋は、宝暦大火後の御殿のうち儀礼に用いた部屋(柳の間・檜垣の間等)。
・要因としては、採光・通風・庭との接続が考えられる。
・庭園の親水空間が御殿の縁と近づく時期と、引通し雨戸が御殿内に広まる時期が一致する。現存する加賀藩武家住宅の断面を比較すると軒構造の変化に関係すると分かる。以上は金沢城二ノ丸御殿や現存する成巽閣の御殿空間の特徴を理解する上で重要である。
ウ 御殿事例調査
高知城本丸御殿、熊本旧細川刑部邸、掛川城二ノ丸御殿の現地確認調査を行った。
・令和7年10月7・8日 高知城[伊東専門委員会委員長・小粥専門委員会委員同行現地指導]
・令和7年10月29日 熊本旧細川刑部邸[同上]
・令和7年12月17日 掛川城[小粥専門委員会委員同行現地指導]