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・従来より指摘されていた玄関・式台廻りに加え、より内部においても、江戸期の様相を留めていることが判明した。
・柱・梁・長押・蟻壁長押・小屋組の束等について、部材の取付痕・仕上げ・番付の墨書等(組立番付・解体移築番付)の状況から、当初材(近世の部材)がそのまま用いられていると判断される部分が多く見つかった。
・明治17 年(1884)の医学館期の絵図(「旧藩学校沿革調」所収図、石川県立図書館蔵)は、大規模改造以前、旧津田玄蕃邸の敷地全体の建物が遺存していた段階のもので、当初材とした柱や蟻壁長押等の位置が一致し、描写の信憑性が高い。遺構を検証し、江戸期の部屋割りを考察するにあたり重要な参考資料となる。
・全国的にも上級武家邸宅の遺存例として貴重であり、金沢城二ノ丸御殿の特徴を検討する上でも重要である。
・令和6年12月25日 山崎幹泰氏(金沢工業大学)、海野 聡氏(東京大学)、戸石久徳氏(金沢職人大学校)、森田 守氏(金沢伝統建築設計)
・令和7年1月8日 伊東龍一(御殿空間専門委員会委員長)、小粥祐子(同専門委員会委員)
・令和7年2月13日 麓 和善(調査研究委員会委員)
・令和6年12月3・4日 二条城二の丸御殿(同上)
<本丸御殿>
・内装・外装についての調査により、現存する古式な建具(近隣の武家屋敷から移された腰障子と、川越氷川神社から移設された襖)、外壁の下見板張り等について実測図を作成した。
<川越大師喜多院客殿・書院(いずれも国指定重要文化財・江戸城本丸御殿の遺構)>
・書院(「春日局化粧の間」)の実測・痕跡調査
*寺伝によれば、書院は寛永15年(1638)徳川家光の命により、江戸城紅葉山の御殿を移築したもの。非公開の書院(中)二階でも同様の調査を行った。
・客殿(「家光公誕生の間」等)内装の目視調査(寛永年間の移築と伝わる)。
<本丸御殿(江戸時代末期の桂宮家の御殿を明治26~27年に移築)>
・内部・外部(未公開の二階含む)共に予備的に調査。
・金沢城二ノ丸御殿と共通する床下通路を発見した。
<収蔵庫内>
・収蔵庫に所蔵される舞良戸等建具の実測調査。
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