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江戸時代末期
石川県立歴史博物館 金沢市出羽町3-1
6曲1双 1隻 縦151.5センチ 横360.0センチ
県指定文化財 昭和61年3月22日指定
この屏風は犀川口町図として犀川大橋をはさみ右岸・左岸を右隻・左隻に二分して描かれ、左隻には片町の一部、川南町、大工町、十九間町、河原町、五枚町の各町並みを、右隻には野町1丁目、千日町、蛤坂町、六斗町の一部が描かれている。橋番所の形態が定式に近いところから天保年間の城下図とみられ、町並みは当時の家屋構造をはじめ、武士・町人・職人・物売・旅人・遊行者・子供・釣人等の姿体風俗を忠実に描写し、風俗図屏風としての価値が高い。全国でも数少ない城下町図としても貴重であり、近世の民衆史資料として注目され、また絵画としても構図・筆致等においても優れたものである。著者は「秀川」と落款のあるところから、福島秀川の画筆によるものとみられる。秀川は本名を白木屋清太郎といい、絵を狩野盈信黒川に学び、文化元年(1804)金沢に生まれ、明治13年(1880)に76歳で亡くなった。
江戸時代
能美市
能美ふるさとミュージアム 能美市寺井町を1番地1
1幅 縦159.5センチ 横81.0センチ
県指定文化財 昭和61年8月22日指定
この白山曼荼羅図は、3幅合わせて1図とし、白山三馬場(加賀馬場・越前馬場・美濃馬場)のうち、加賀馬場からの禅定道と白山三所権現(大御前峰・大汝峰・別山)の仏神の座とされた主峰群を描いている。右幅の右隅に別山を置き、左に大御前峰、中幅の中央に大汝峰を描き、朱の点線で禅定道を表し、図の中程に登山口となる加賀室、越前室、美濃室がみえ、図中各所には短冊型にその場所の名札が書き入れられている。この図は近世初期の垂迹曼荼羅であり、白山の信仰を示す遺例として貴重である。作者は不詳であるが、法量・構図とともにスケール雄大で、絹本賦彩、写実的な山水景観が生き生きとうつされた優品である。本資料の幅背には
「寛政元年己酉秋九月穀旦/加賀国金沢府下之匠司/清水治左衛門尉峯充 奉納焉/芸臺南肇敬書」 の墨書銘がある。
これによると、寛政元年(1789)九月に加賀藩の御用大工金沢の清水峯充が白山宮加賀馬場本宮に寄進したもので、墨書の筆者は金沢の楠部肇である。
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