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桃山時代
長齢寺 七尾市小島町リ-52
(石川県七尾美術館保管 七尾市小丸山台1-1)
縦 69.2センチ 横 40.7センチ
県指定文化財 昭和44年3月19日指定
本像は、加賀藩初代藩主前田利家の母であり、前田利春夫人の「長齢院」の法体姿を描いたもので、頭巾につつまれた顔つきには、おおらかななかにも戦国武将の妻としての苦労が漂っている。全体を胡粉彩色によって仕上げているが、法衣としての白衣には、さらに雲母で花唐草を地模様に描いており、流麗な描線と相まって一種の清浄感を感じさせ、気品のある作品となっている。石川県内における桃山時代女性肖像画の優品である。本像を所蔵する長齢寺は、天正9年(1581)に前田利家が能登を領した時、越前高瀬の宝円寺の大透圭徐を招き、この地に宝円寺を建立したのに始まるが、同11年(1583)に、利家が金沢に移るにおよんで、宝円寺もまた金沢小立野に移された。しかし、文禄3年(1594)に、大透は再び当寺に帰り、利家の母の法号を寺号として今日にいたっている。当寺には、利家の父利春や前田家初期の人々の墓所が設けられている。
昭和60年「石川の文化財」より
江戸時代初期
石川県立美術館 金沢市出羽町2-1
縦 71.0センチ 横 27.5センチ
県指定文化財 昭和44年3月19日指定
筆者の沢庵宗彭(1573~1645)は、諸寺を遍歴して大徳寺153世となり、さらに諸寺を再興し、高徳をもって世に知られた禅僧である。この作品は、絵そのものは稚拙であるが、気概のこもった筆致で描かれ、とくに顔の描写がすぐれている。頭が大きく、耳がふくよかで、太いまゆ毛の下の眼光は炯々と輝き、いかにも、名利を好まず、豊臣秀頼・細川忠興・黒田長政などの招きにも応じなかったという、沢庵の真骨頂がうかがえ、自らの姿を赤裸々に表現しようとする気持が十分にうかがえる秀作である。寛永4年(1627)の後水尾天皇の紫衣勅許を、幕府が無効とし朝幕間に衝突が起こった紫衣事件の際、沢庵は幕府に抗したため、出羽国上ノ山に配流されたが、この作品は、その時期寛永6年~9年(1629~1632)に、加賀藩の老臣本多安房守政重の求めに応じて、上ノ山の春雨庵で描かれたことが賛語より知られ、史料的にも貴重な作品である。
昭和60年「石川の文化財」より
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