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更新日:2013年1月24日

七尾城跡・鳥越城跡附二曲城跡

七尾城跡

室町・戦国時代
七尾市古府町竹町古屋敷町入会大塚甲15番1外 37筆等(七尾市管理)
指定面積  266,169平方メートル

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国指定史跡  昭和9年12月28日指定
平成23年2月7日追加指定

七尾城跡は、石動山系の標高およそ300メートルの尾根上に、室町期の能登守護畠山氏の居城として築かれた中世山城で、昭和9年に国の史跡に指定されている。

    築城時期は、通説では能登畠山氏の初代満慶に始まり三代義統から四代義元の頃とされるが、文献上の七尾城の所見は、永正11年(1514)であることから、畠山氏が七尾城に居を移したのは16世紀初期と考えられる。天正4年(1576)上杉謙信に城は包囲され、翌年落城したとされており、その後、織田信長に属した前田利家が、天正9年(1581)に入城したが、利家はその翌年に現在の七尾市街地に位置する小丸山に居を移したため、七尾城は廃城になったと考えられている。

   城郭全体の規模としては、山麓に広がる城下遺構も含めて、東西約1キロメートル、南北約2.5キロメートルにも及ぶ大規模なもので、山頂部には、本丸(主郭)を中心に二の丸(二郭)・三の丸(三郭)・西の丸・調度丸・桜馬場・遊佐屋敷・温井屋敷・寺屋敷・長屋敷などと通称される曲輪群が所在しているが、これらの名称は近世城郭に由来するものであり、史実とは異なる可能性が高い。また、本丸周辺には野面積みの高石垣が存在するほか、深い空堀や土塁などの遺構の残存が良好であり、北陸では最大級の規模を誇り、堅固な構造を有する中世城郭といえる。

    今回、主郭や二郭に隣接した郭群及び斜面部に加えて三郭及びその周辺部を追加指定し、保護の万全を期そうとするものである。

 

鳥越城跡附二曲城跡

白山市三坂町、別官町、釜清水町、上野町、出合町(白山市管理)
指定面積  286,620.64平方メートル
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国指定史跡  昭和60年9月3日指定

鳥越城跡・二曲城跡は、織田信長の攻勢に最後まで抵抗した白山麓一向一揆の拠点となった城跡である。
手取川とその支流大日川に挟まれた標高312メートルの丘陵上を利用して築かれたのが鳥越城で、一方大日川の対岸に相対する標高268メートルの独立峯上の山城が二曲城である。
鳥越城跡は本丸、二の丸、三の丸、後二の丸、後三の丸と呼ばれる5つの郭と3つの腰部によって構成されている。発掘調査によって、本丸跡及び2の丸跡から、礎石をもつ建物跡や、堀立柱建物跡が検出されている。また、桝形門、腰郭において石垣が検出されているが、特に首切り谷と呼ばれる空掘に面する石垣は高く険しい。建物の多くは、火を受けているが、青磁三脚香炉、白磁皿、染付碗、天目茶碗といった陶磁器類、刀、鉄砲玉といった武器類などが出土した。
手取川とその支流大日川流域の一向宗門・徒組織は山内惣庄(惣中)と称されたが、鳥越城と二曲城の城主は惣庄の指揮者であった鈴木出羽守である。
天正8(1580)年柴田勝家により金沢御坊が陥落するが、山内衆は抵抗を続け、鈴木一族が討たれ、落城した。翌年山内衆が蜂起し、両城を奪回したが、織田方の佐久間盛政によって鎮圧された。更に翌年再度蜂起するが、300人余りが礎刑に処され、加賀一向一揆は壊滅した

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

Email:bunkazai@pref.ishikawa.lg.jp

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