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更新日:2014年2月6日

上山田貝塚・御経塚遺跡

上山田貝塚 

縄文時代中期
かほく市上山田(かほく市管理)
指定面積  6831.7平方メートル

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国指定史跡  昭和57年3月29日指定

上山田区小字和田集落背後の通称を「たち山」という、標高約20メートル、東西約250メートル、南北約80メートルを測る頂面平坦な独立小丘が貝塚遺跡である。貝層は、台地の東先端に近い、くびれ部の南側と北側の斜面に残されている。昭和5年(1930)に宇ノ気町指江の医師久保清氏によって発見・発掘され、石川県で最初に発見された貝塚として著名である。貝層は厚い所で約150センチ、鹹水産の貝類も少量まじるが、イシガイ・オオタニシなどの淡水産貝類とフナなどの魚骨が圧倒的に多い主淡貝塚である。
貝塚から現海岸線までは、直線距離で約3キロメートル。貝塚の前面約2キロメートルにひろがる河北潟の間には、日本海岸有数の大砂丘である内灘砂丘が連なっている。この貝塚から、かつては日本海に開く入江であった河北潟が、砂丘の発達によって現在の潟に移りかわった道すじを考えることができる。
出土遺物は町立西田記念館に保管されている。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

御経塚遺跡

縄文時代後期~晩期
野々市市御経塚(野々市市管理)
指定面積  1万4897平方メートル

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国指定史跡  昭和52年3月8日指定

手取扇状地扇端部東辺に位置する、縄文時代後期中葉から晩期後葉まで続いた北陸屈指の大集落跡であり、また、晩期前葉「御経塚式土器」の標式遺跡でもある。遺跡は御経塚集落の東側と国道8号線にまたがり、約3万5000平方メートルの広さをもち、昭和30年(1955)以来の10余次の発掘で28棟の住居跡が調査されている。また、第1次調査で発見された御物石器は、1辺の長さ約40センチ前後の8箇の河原石を方形に並べた石組みに納められ、御物石器が確実な遺構から検出された唯一例として特に貴重である。
遺跡の南側は、史跡公園として整備されているが、西半分を簡易なスポーツを楽しむ場とし、東半分を復元縄文時代住居や原生林の植生を中心にした学習区に分けて整備されているのが特色である。
公園に隣接して収蔵庫が設けられ、発掘した土器や石器などが収蔵展示されている。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

Email:bunkazai@pref.ishikawa.lg.jp

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