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更新日:2020年2月6日

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成巽閣庭園・那谷寺庫裡庭園

成巽閣庭園

江戸時代末~昭和初
(公財)成巽閣  金沢市兼六町1-2
指定面積  6,607.15平方メートル

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国指定名勝 昭和4年4月2日指定  平成29年2月9日追加指定

成巽閣庭園は、金沢市の市街地に所在する特別名勝兼六園の南に隣接して位置し、加賀藩13代前田斉泰の母である真龍院の隠居所として文久3年(1863)に造営された巽御殿とともに、まず主庭が築かれた。
書院と茶室、水屋から成る清香軒に面する主庭(飛鶴庭)は、水流を有する清邃な平庭の優れた事例として、昭和4年(1929)に国の名勝に指定されている。
  巽御殿は、明治7年(1874)に「成巽閣」と改称され、この頃に主庭から分水して、万年青の廊下の縁先に面する中庭(万年青の縁庭園)に遣水として通じさせ、築山を設け、深山幽谷の景趣が演出された。
  明治42年(1909)には、東宮(後の大正天皇)の北陸行啓を契機として、前庭に表門、馬車回し、玄関が整備された。また、つくしの廊下の縁先に面する中庭(つくしの縁庭園)では既存の能舞台を除却した後、主庭から続く水路を直流から緩やかな曲流に造り替え、平明な風情が演出された。
  昭和24年(1949)の前田家駒場本邸から煎茶席三華亭が移築された頃には、現在の主庭、中庭、前庭からなる成巽閣の地割りが整ったとされる。
  以上のように、成巽閣庭園は幕末以来、時代を重ねて整えられてきた庭園であり、その調和が優れていることから、既指定の主庭に、中庭及び前庭を含む区域を追加し、全体の保護を図るものである。
 

那谷寺庫裡庭園

江戸時代前期
那谷寺  小松市那谷町
指定面積  1133.61平方メートル


国指定名勝  昭和4年4月2日指定

那谷寺の庫裏は、本堂よりも古く、寛永12年(1635)の建立で、同時に庭園も築造された。
本庭は、書院の裏部から本堂の裏部にかけての北庭で、東部には池があり、中央は平庭で、西部に茶室如是庵があって、書院式露地風の庭園となっている。もとは広大で東方の瀑のあるところまで達していた。如是庵から書院裏をつないで東部の池庭へと飛石が打たれ、ところどころに石を立てている。書院の角、北東部に三尊石組手法による配石があって、本庭の主要景観を構成している。向かって右の脇石も立石として7割程度の高さをもち、左脇石は思い切って強く離しながら横石として組まれている。この石組は江戸初期寛永頃に活躍した賢庭的な手法である。また飛石本位の庭でありながら、一部に石組をみせる手法も、江戸初期の書院式露地の特色として注目される。北隅にシイの大樹があり、東方に池を挟んで杉の巨樹が亭々としている。蘚苔青々として老樹鬱蒼と茂り、景致幽すいである。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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