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平安時代後期
法華寺 鳳珠郡能登町字柳田ラ-87
像高 87.2センチ 光背高 139.3センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
法華寺は、真言宗に属する古刹で、古くは薬師寺と称したが、火災のため廃絶し、大永2年(1522)に再興され、その折に法華寺と改称したと伝えられる。
この像は、当寺の護摩堂に安置されており、檜材、寄木造、彫眼で、彩色の痕跡がある。頭頂に花形の莎髻を頂き、弁髪は左頬から首にそって左肩前に垂れる。眉は太くていかめしく、天地眼は上天と下界を看破し、唇は上下に強くかみ合わせ、歯牙を左右上下にむき出すなど、厳しい降魔相である。両肩は強く張って、左手に羂索、右手に宝剣を持ち、右足を上にして岩座の上に結跏趺坐する威容である。頭部は小さめで、体躯や胸・腹のふくらみもひかえめであり、条帛などのひだの彫りもやや浅いが、むだのない迫力感に注目される。作風より、年代は平安時代後期と考えられる。
昭和60年「石川県の文化財」より
平安時代後期
正覚院 羽咋市寺家町ト-92
像高 110.0センチ 台高 75センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
正覚院は、真言宗に属する寺で、もとは気多神宮寺の一院であった。この阿弥陀如来坐像は、かつて気多大神宮寺の講堂の本尊であったが、明治初年の神仏分離により、社僧の長福院・地蔵院・薬師院などが廃退したため、ただ一つ残存した正覚院に移され、今日に至っている。
檜材、寄木造で、内刳りを施し、眼は彫眼。白亳は水晶。漆箔は後補。上品上生の阿弥陀定印を結び、結跏趺坐し、相好はやさしく温雅で、衣文線は整理されて彫りが浅くなり、膝は広くて低い。台座は、葺上げ魚鱗蓮花で平安時代後期の特徴・様式にかなった佳作である。
胎内の修理銘により、元和2年(1616)に顔や光背が修理されたことがわかる。台座の敷茄子以下は、昭和10年(1935)の補修である。
昭和60年「石川県の文化財」より
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