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ホーム > 観光・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 文化財 > 石川の文化財 > 古文書(県指定) > 須須神社文書・常利家・馬緤本光寺文書

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更新日:2010年8月17日

須須神社文書・常利家・馬緤本光寺文書

須須神社文書 (73通)

平安~江戸時代
須須神社  珠洲市三崎町寺家ツ-56

 

須須神社文書 

県指定文化財  昭和57年1月12日指定

登半島の最先端部に位置し、「三崎権現」として知られた高座・金分両宮(須須神社)及び別当高勝寺に伝来した文書で、大半が巻子仕立となっている。県内に遺存する最古の年次をもつ承安5年(1175)2月28日の能登国司庁宣を上限とし、うち慶長年間(1596~1615)以前のものが40通余ある。中世の奥能登における有力寺社の神事・仏事や社僧集団・所領構成などの具体相を知らせる、数少ない存在として貴重であり、室町・戦国期の能登守護畠山氏との交渉を示す文書も少なくない。
かでも、長文の文明10年(1478)8月28日高座宮神主友永置文は、守護被官の寺社領押妨の実態と、在地訴訟に見る「中人制」及び守護法廷の在り方を知らせるものとして注目される。その他、天正5年(1577)11月の高勝寺衆徒申状案には、能登を占領支配することになった越後の上杉謙信に、伝来の幕府御教書や守護判物などを一括提出し、新たな安堵を求めていることが見え、中世文書の遺存状況を理解する手がかりとなり面白い。
昭和60年「石川の文化財」より

 

常利家・馬緤本光寺文書 (13通)

  南北朝~室町時代
  個人  珠洲市  (11通)
  (石川県立歴史博物館保管  金沢市出羽町3-1)
  本光寺  珠洲市馬緤町(2通)


  常利家・馬緤本光寺文書

県指定文化財  昭和57年1月12日指定

 

登半島北東端の北岸に位置した能登国若山庄馬緤浦の恒利名の名主であった常利(恒利)家と、同家が檀越となった曹洞宗本光寺に伝来する文書である。常利家文書は、貞和5年(1349)4月11日の若山庄名主職充行状が上限で、長禄2年(1458)3月5日の馬緤浦住人国永道本田地寄進状に至る11通を存している。内容は、若山庄の国人本庄氏から馬緤浦本光寺に充てた文書が多く、元来、本光寺に旧蔵されていたものが、のちに檀越であった常利家に移り、常利家相伝の若山庄領家日野家が発給した御教書・名主職補任状などと混合されて伝蔵されるようになったらしい。従って、本光寺現蔵の応永20年(1413)2月9日名主恒利本光寺田畠置文ほか1通とは、一括して保存されるべきものである。県内に遺存する希有な有力名主文書として貴重であると同時に、国人・有力名主を檀越とした在地禅宗寺院文書としても、特異な内容をもつものである。写真は、貞和5年(1349)4月11日の若山庄名主職充行状(常利家文書)と永享9年(1437)8月6日の備前守源朝臣某奉書(本光寺文書)。
昭和60年「石川の文化財」より

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

Email:bunkazai@pref.ishikawa.lg.jp

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