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更新日:2023年6月30日

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金沢城編年史料等の編纂(3年度)

事業概要

第1期事業の成果を踏まえ、第2期事業では、総合的な編年史料集の編纂事業を行うこととしている。令和3年度は『金沢城総合年表 後編』の刊行に向けて、補足的な調査を行うとともに、最終的な収載項目を決定し刊行した。

主な成果

  • 『金沢城総合年表 後編』の編集・刊行
  • 『金沢城総合年表 後編』は、宝暦9年(1759)から明治4年(1871)の金沢城をめぐる出来事(1035項目)を収載した。綱文(できごとの要約文)については、できるだけわかりやすい文言を用い、典拠史料については、同時代史料(書状類・日記等、写本を含む)を中心に、後年に作成された覚書・雑記類でも典拠史料として相応しいかどうか十分検討し、前巻同様、信のおける史料集となるよう努めた。
  • 本報告書の編集を通して、文献史料から宝暦火災以降、明治維新までの金沢城の変遷を通覧することが可能になった。編集に際しては『加賀藩史料』の典拠になっているものでも一つ一つ原史料に立ち返り確認作業を行った。また、新たな史料の発掘にも努め、『加賀藩史料』に収載されない、次のような事項も確認できた。

(1)弘化2年(1845)金谷出丸に世子慶寧の金谷御殿と真龍院(12代前田斉広正室)の御殿(松の御殿)が並置されることになったのを背景に、翌弘化3年、13代斉泰の子息である基五郎・豊之丞の住まいを二ノ丸御殿の松の間二の間に設けることとしたが、これに伴い年寄中席が檜垣の間に移していたことなど、従来知られていなかった記述も確認できた。
(2)安政5年(1858)2月の地震で、御居間廻りや御居間先土蔵も被害を受けた。御居間廻りの普請に取りかかるとともに、同年6月には御居間先土蔵の取りこわしを行うこととし、7月から9月にかけては、御庭の手入れや御居間先に的場を築くなど御居間周辺の整備が進められたことが新たにわかった。
(3)前田慶寧が金沢城を出て、本多邸に移った日について『加賀藩史料』では記されていなかったが、「諸事留帳」などの記述により、明治2年(1869)11月18日と確定できた。

  • 原本確認や伝本確認のため、金沢市立玉川図書館を中心に、調査を行った。

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お問い合わせ

所属課:教育委員会金沢城調査研究所 

石川県金沢市尾山町10-5

電話番号:076-223-9696

ファクス番号:076-223-9697

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