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更新日:2012年5月29日

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― ニューヨーク経済レポート 2004年8月号 ―

米国における繊維産業と綿花栽培の発生と広がり

号では、米国における繊維産業の近年の歴史的な変遷について、通商政策、産業政策の両面からその概略を紹介したが、今回はさらにその歴史を掘り下げ、米国における繊維産業の生い立ち及びその後の広がり、世界最大の生産を誇る綿花の生産等について、歴史的及び地理的な見地から紹介する。

1  はじめに

日まで、米国の通商政策及び産業政策に対して影響力を保持し続けてきた繊維産業の中心は、繊維工場が集積しているサウスカロライナ州、ノースカロライナ州、バージニア州、テネシー州、ジョージア州など、米国南東部に集中しているが、カリフォルニア州やニューヨーク州などは、アパレル産業が集積しており、また天然繊維の柱である綿花は、繊維工場の集積する南東部から広大なコットンベルト(Cotton Belt)と呼ばれる中西部の綿花地帯(テキサス州、カンザス州、オクラハマ州、アリゾナ州、ニューメキシコ州、カリフォルニア州)に至る広い範囲で良質なものが生産されている。

2  米国の繊維産業の発祥と変遷

1790年、英国の機械工サミュエル・スレイターは、米国北東部のニューイングランド地方(メーン州、ニューハンプシャー州、バーモント州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネチカット州の総称)に初めて綿紡績機を導入した。このことはニューイングランド地方という農業地域を工業地域に変貌させるとともに、企業・資本と経営の分離独立、大企業への成長という産業の近代化モデルを米国に紹介した。
の経営方式が家族や共同体というよりも個人に主眼を置いたという点で、米国社会に大きな変化をもたらし、その後の新しい国家産業や社会発展を特徴づけるものであった。スレイターは産業革命発祥の英国において主流であった水力式紡績機を米国ロードアイランド州の小さな町にもたらし、地元の若い子供達を機械操作員として雇いビジネスをスタートさせたが、後にビジネスを拡大させ、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネチカット州に次々と工場を増設し、やがて彼の操業形態は、ミッドアトランテック地方(デラウェア州、メリーランド州、ニュージャージー州、ニューヨーク州、ペンシルバニア州、ワシントンDC)の多くの製造業者の間にロードアイランドシステム又はブリティッシュシステムという名で知れ渡った。
邦政府が製造業に対する補助を開始し、ニュージャージー州に繊維産業の高度化を図るための機関を設置したのもこの時期であった。
19世紀初頭に繊維産業を始めた者はスレイターの他にもいたが、その1人がボストンのフランシス・ローウェルであった。彼がマサチューセッツ州に建設した工場では中古の力織機を導入し、若年労働者を雇い、糸の紡績と機織を組み合わせた操業を行った。歴史家達はローウェルのスタイルを米国における大企業の原型であると評価している。彼の企業は大規模で統合的な利潤追求型の法人ベンチャーで、税関通行権の独占等により経常利益は毎年20%以上伸びた。彼の工場では主としてニューイングランドの農村から12歳から25歳までの若い女性労働者を雇い入れ、住み込みで働かせていたが、1829年に繊維産業の不況が始まったのを機に賃金カットを求めると、女性労働者はそれに対抗し、数次に渡りストライキを敢行するようになった。彼女達は工場女性連盟なるものを組織するなど、その後労使関係において徐々に力を持ち始めたため、繊維工場の経営者たちは、米国人に替わりフランス系カナダ人やアイルランド移民を雇用するようになったが、南北戦争の頃には労働者側が労働条件などの労使交渉で優位に立ったため、スレイターやローウェルの経営スタイルも次第にその影が薄れていった。
1861年に始まった南北戦争前の南東部地方は、全体に綿花プランテーションが広がり独占的農業による強固な経済圏が確立されていたが、サウスカロライナ州、ノースカロライナ州及びジョージア州には綿花繊維工場も存在していた。当時の南東部の繊維工場は、川の急流や砂州の水車に動力源を求めていたため、Southern Piedmont(サザン・ピードモント)と呼ばれるバージニアからアパラチアの延長線上にあるフォール・ライン(アメリカ大陸の東海岸の縁にある急激な断層)に数多く並び、より良い水動力源を求めて次から次へと移転を繰り返していた。また、北東部の大工場とは対照的に個人事業として小さな繊維工場で繊維機械を鋳造し、周辺の農耕地域を限定市場とする粗末な衣類を製造するなど、生産量の規模も小さなものであった。
の後1880年代に入ると、北東部の多くの繊維工場が南方へ移動し始めた。労使関係における労働者側の優位により北東部でのビジネス継続が難しくなったこと、南東部の小さな田舎の農村からより安い労働力を新たに手に入れることが主な理由であったが、鉄道の新設により新たにバージニア州、ウエストバージニア州、ケンタッキー州、アラバマ州、テネシー州の炭田と地理的に近づいたという地理的優位性、繊維機械の技術革新(水力から蒸気エンジンへの転換)、生産性の向上などが相まって、工場の新設や小工場と大規模工場の融合が促進され、南東部の繊維工場の数は1880年の161工場(米国全体の繊維工場に占めるシェアは21%)から1910年の731工場(同60%)と、30年間で5倍近く(シェアは3倍)となった。(図1、写真1、写真2)

のように米国における繊維工場の中心は南東部に移ったのであるが、過酷な労働条件を強いる経営側とそれに対抗する労働者という図式は続き、南東部においても労働者達は団結し繊維産業労働者同盟などを結成、ストライキを敢行するようになった。この頃の繊維産業労働者団体の組織化が現在の米国繊維業界の団結及び巨大化の原点になっていると言える。

3  米国における綿花栽培の概要

国の綿花栽培は、フロリダ州において16世紀半ばに始まったとされているが、19世紀初頭に南東部を中心としてプランテーション栽培が盛んに行われた。しかしその後、南米から流入してきたワタミハナゾウムシ(Boll Weevil)(写真3)という害虫に悩まされることとなり、以降、米国政府及び綿花栽培農家とワタミハナゾウムシの戦いが繰り広げられたが、湿度を好むこの害虫を避けるように、また、更に安価な労働力を求めて、綿花栽培そのものが徐々に乾燥する気候帯の中西部・南西部へシフトしていくことになる。(図2)

の結果として、現在では中南西部の広大な コットンベルトと呼ばれる綿花地帯(テキサス州、カンザス州、オクラハマ州、アリゾナ州、ニューメキシコ州、カリフォルニア州)を中心に米国南部ほぼ全域に渡る広い範囲で、綿花が栽培されている。(図3)

タミハナゾウムシの駆除については、今なお、その根絶に向けた努力が進行中であるが、ワタミハナゾウムシと並んで綿花栽培の大敵となっている害虫がワタキバガ(Pink bollworm)(写真4)である。

綿花栽培農家や米国農業研究所ARS(Agricultural Research Service)による駆除や研究に要する費用、穀物被害額の合計は毎年3,200万ドルにものぼり、深刻な問題となっている。全米綿花評議会NCC(National Cotton Council of America)も「綿花生産業界は2005年度分として780万ドルの補助金を政府に要求しているが、年間の総経費はその4倍にも達しており非常に厳しい。ワタキバガの根絶にはまだまだ時間と金がかかる。」と頭を悩ませている。綿花栽培の阻害要因として害虫よりも影響力が大きいのが気象条件である。綿花はその年の天候により生産量が変動するばかりか、そのデリケートさゆえ、土壌、日照時間のわずかな違いが、製品になったときの肌触り、色の鮮やかさなど品質にも大きく影響する。(図4)

国の綿花の最も一般的な品種は、アップランド綿(Upland Cotton)という品種であるが、最高級の品質を誇る綿花はピーマ綿(Pima Cotton)である。ピーマ綿の栽培は、サミュエル・スレイターが北東部のニューイングランド地方に初めて綿紡績機を紹介した年と同じ1790年に、サウスカロライナ州のウィリアム・エリオットが、バハマ諸島からELS Cotton(超長繊維綿花)の種子を持ち帰ったことから始まった。米国ではその後それらの品種改良を重ね、20世紀初頭にピーマ綿という最高級品質の綿花を開発した。その後、高級ピーマ(Superior Pima)の略語としてスピーマ(Supima)という名が付けられたが、スピーマは同時に100%米国産ピーマ綿の繊維製品であることを示す登録商標としても用いられている。
国における今年を含む過去3年間の州別の綿花生産量は表1のとおりであるが、米国を代表する綿花であるアップランド綿ではテキサス州が最大、ピーマ綿では中西部4州のみの生産となっているが、その中ではカリフォルニア州が最大の生産量を誇っている。

のように米国は綿花生産の歴史は長く、米政府も、害虫駆除などのための技術開発や品種改良を中心とした数々の綿花政策に力を注いでいるが、近年、環境に対する意識の高まりを背景に、NCC全米綿花評議会が中心となって最新の科学技術を駆使して、化学農薬を極力減らすような努力が続けられており、オーガニック・コットンといわれる綿花の有機栽培が脚光を浴びている。オーガニック・コットンとは、米政府の定めた有機栽培認定基準に従って、合成化学物質を3年間使用していない畑で、合成化学物質を全く使用せずに栽培された綿花をいい、テキサス州をはじめ、アリゾナ州、カリフォルニア州、テネシー州、ミシシッピー州、バージニア州で栽培されている。農薬、天然肥料の使用に関しても厳しい基準・方法による必要があり、州の農業局、有機栽培農家のグループがその認定を行っている。同品種の綿花を比較すると、オーガニック・コットンの価格は通常の綿花の約2倍となっているが、カジュアルウェアのAmerican Apparel、スポーツウェアのNike、アウトドアウェアのTimberlandやPatagoniaなどが積極的にオーガニック・コットンを採用し始めており、今後その広まりが注目されている。

4  コットンUSA

ットンUSAのマークは、米国産の綿を50%以上使用した品質優秀な綿100%製品を示すマークとして、CCI(国際綿花評議会)が1989年に創設したもので、これまで日本をはじめ韓国、台湾、香港などのアジア、ヨーロッパ、中南米等に対しPRを行ってきたが、今年、CCIは日本において財団法人日本綿業振興会と共同で2004春夏コットンUSAマーク・キャンペーンを展開している。「このここちよさ、ほかにない。Nothing feel like this.」のキャッチコピーのもと、「コットンの心地よさほど優れたものは他にはない」というコンセプトを各種媒体により日本の消費者に対しPRしている。CCIのドレイトン・メイヤース氏は、「日本の景気が回復してきたので、今後に大いに期待している。日本の民間企業との連携をより密にして日本の消費者にPRしていきたい。」と力強く語ったが、コットンUSAの日本をはじめとした全世界への浸透に対する強い期待と同時に、米国と並ぶ綿花生産国で驚異的な経済成長を続ける中国の存在をかなり意識している様子もうかがえた。

参考資料

「Travel Through Troup County : A Guide to its Architecture and History」(1996) - Turner, Julie -
「Agricultural Research」(May 2000, Vol.48)
「Cotton’s renaissance」(2001) - Jacobson, Timothy C & Smith, George D -
「From field to final product」(1999) -Edited by Myers Dorothy & Stolton, Sue -
「The New York Times Magazine」(August 1, 2004)

インタビュー

  • NCC(National Cotton Council of America、全米綿花評議会)
  • CCI(Cotton Council International、国際綿花評議会)

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お問い合わせ

所属課:商工労働部産業政策課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1511

ファクス番号:076-225-1514

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