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更新日:2014年2月6日

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寛文七年金沢図・加越能文庫

寛文七年金沢図 1点

寛文7年(1667)
石川県立図書館  金沢市本多町3-2-15

寛文七年金沢図

 

県指定文化財  平成22年4月2日指定 

  
金沢において本格的な測量による城下町絵図が作成されたのは、正保(しょうほう)年間(1644~1648)に幕府に提出を命じられてからとされており、現存する最古の大型絵図が、この「寛文七年金沢図」である。
  この絵図は、前田家の武家屋敷地の配分と管理を担当する普請会所が作成したとされており、大きさは南北560センチメートル、東西501センチメートルと巨大であり、縮尺は一分一間の分間図であることから、600分の1となる。
  測量線である朱線が道路中央に引かれていることから、測量に基づく地図として作成された絵図であり、絵図下の凡例注記によると、「寛文七年金沢図」に先行して、同形式の絵図が万治3年(1660)に作成されたこと、また万治3年以後の屋敷替えにより絵図を改訂する必要が生じ、寛文7年(1667)10月までの屋敷地変化の調査を反映させたものであることがわかる。
  絵図には約3,600件にのぼる文字の記載があり、このうち人名は約1,750件である。人名のうち、約6割は寛文11年(1671)の侍帳に記載されており、残り約4割の多くは下級の藩士である。前田家中のうち平士以上の藩士にとどまらず、下級の藩士の中でも、藩主に近侍する者など特定の人材を選び、その住居が詳細に記載されていたことがわかる。これらの記載内容から、「寛文七年金沢図」の作成目的は、直臣を中心に、城下に住む前田家中の住居を明確に把握するためであったことがわかり、貴重な武家資料といえる。
  一方、惣構堀を境界線にした重臣の居屋敷・下屋敷の配置、寺社屋敷の配置など、身分別の町割りも明らかになっており、城下の構成が明確に読み取れる。
  「寛文七年金沢図」は、江戸前期の金沢城下の土地利用のあり方および、当時の身分秩序や職能に応じ住居が配置された実態を正確に示すものであり、前田家5代藩主前田綱紀(つなのり)の治世、都市政策に対する考え方を窺うことができる貴重な絵図であり、有形文化財として指定し、その保存を図ることが必要である。

加越能文庫 34,405点

桃山時代~大正時代
金沢市立玉川図書館  金沢市玉川町2番20号

加越能文庫・加越能三箇国絵図加越能文庫・由緒

 

県指定文化財  平成22年4月2日指定


  前田家15代当主前田利嗣は、明治16年(1883)に前田家の歴史を後世に伝えるために前田家編輯方を設立し、旧藩庁、旧藩臣、旧領各地の史料を手写し、あるいは収集も行った。これらは財団法人前田育徳会に保管されていたが、昭和23年(1948)に金沢市に寄贈され、「加越能文庫」として保管されている。
  本資料は、藩主・藩制・藩士・政務・軍事・藩学・藩治・産業・学問・文芸に分類される多岐にわたる膨大な資料であり、典籍、古文書、絵図など34,405点からなっている。
  このうち中心となる加賀藩庁関係の公記録・公文書は、主に典礼資料・法制資料・諸役の勤方帳などであり、年寄・家老・若年寄および各奉行の政務日記や、十村役に関する文書をはじめとした、重要な記録が多数含まれている。とりわけ、藩士の系譜を詳細に記録した「先祖由緒并一類附帳」は、明治初期に金沢藩庁へ提出された原本であり、当時の藩士の約7割を記している11,761点の貴重な史料である。また、絵図では、正保3年(1646)に作成され、高辻帳に添えて幕府に翌年提出された控である「加越能三箇国絵図」や、寛文8年(1668)に作成された絵図の写で、金沢城を中心に城下町全体の町割りを描いた「加賀国金沢之絵図」のほか、郡村絵図、城絵図など多くの貴重な絵図が含まれている。
  さらに、前田家5代藩主前田綱紀が収集した、当時の学問などを知ることができる史料の写のほか、旧藩臣の家から献上されたものも多数含まれている。
  「加越能文庫」は、加賀藩研究や地方史研究に欠かせない第一級の基本的な資料群であり、日本近世史研究の諸分野において史料を多数提供している貴重な資料でもあり、有形文化財として指定し、その保存を図ることが必要である。

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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