ホーム > くらし・環境 > 社会基盤整備 > 公園整備・緑化 > 金沢城公園の整備について > 「鼠多門」の復元整備について
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鼠多門は、金沢城の西側の郭(くるわ)である玉泉院丸に位置し、水堀をまたぐ木橋(鼠多門橋)により接続される金谷出丸(現在の尾山神社境内)からの出入り口として機能していた二階建ての櫓門です。
創建年代は明らかになっていませんが、江戸時代前期にはすでに存在していたことが絵図等から判明しており、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759)の大火でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在していました。
明治4年(1871)の廃藩後は、旧陸軍の管轄におかれ、明治10年(1877)に鼠多門橋が老朽撤去された後も倉庫などに利用されていましたが、明治17年(1884)に火災により焼失し、面影は失われていました。
2014年より復元に向けた発掘調査や絵図・文献等調査を行い、調査結果に基づき史実に沿った木造による復元を行うこととし、2018年6月に着工、2020年中の完成を目指しています。
鼠多門の整備イメージ
鼠多門は、石垣の上に二階建ての櫓を備えた構造となっており、門を抜け坂道を上がると玉泉院丸の敷地に至ります。
城内の他の城門と同じく、屋根は木型を薄い鉛の板で覆う鉛瓦、外壁上部は白漆喰(しろじっくい)塗りで、腰壁は海鼠(なまこ)壁仕上げとなっていますが、海鼠壁の平瓦の目地には、黒漆喰(くろじっくい)が用いられ、他の門とは異なる特徴的な外観であったと考えられます。
明治初期の鼠多門(金沢市立玉川図書館蔵)
櫓門、入母屋造 木造2階建て(門部分地階)
桁行 22.03メートル 梁間7.35メートル
建築面積 198.62平方メートル
延床面積 323.84平方メートル ( 1階 162.92平方メートル 2階 162.92平方メートル )
発掘調査、絵図、文献等調査を行い、調査結果に基づき史実に沿った復元を行うこととしています。
完成後は、建物からの眺めを楽しんでいただくだけでなく、史跡への理解を深めていただくため、
鼠多門の歴史等についてパネル展示等により解説を行う予定です。
スロープや階段昇降機を設置し、バリアフリーにも対応します。
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