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更新日:2010年8月17日

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大乗寺法堂  含祖堂・山門・総門

大乗寺法堂  含祖堂(1棟)

元禄15年(1702)  
大乗寺  金沢市長坂町ル-10

県指定文化財  昭和57年1月12日指定

堂は、高岡市の瑞竜寺と同じく、曹洞宗客殿型の法堂で、正面桁行柱間10間(実長11間半《20.9メートル》)、梁行柱間7間(実長8間半《15.5メートル》)、単層、入母屋造り、平入り、桟瓦葺(もとは木羽葺)となっている。正面には向拝を設けず、中央の柱間を広く取って方立を立てて、双折れの桟唐戸を内開きにしている。内部は、前面1間通りを土間とし、両脇で回廊と結び、入側柱から1間半通りを広縁にとる。主屋部の平面は、前後2列並びの8間取り(前列3間半《6.37メートル》)、後列2間半《4.56メートル》である。内陣は、板張りで、須弥壇を置くが、元来はこの須弥壇は置かれていなかったもので、正面の鴨居の上に背後へ突き出た仏壇があり、その下から廊下を隔てて開山堂を拝するようになっていた。仏殿と同じく、元禄15年(1702)頃に竣工したものとされているが、大工などは不明である。
昭和60年「石川の文化財」より

 

 大乗寺山門  (1棟)

寛永年間(1624~44)  
大乗寺  金沢市長坂町ル-10

大乗寺山門
県指定文化財  昭和57年1月12日指定

の山門は、3間1戸の楼門で、正徳元年(1711)の泰林の「大乗護国禅寺中興碑」によれば、寛永年間(1624~1644)の建立とされるが、元禄12年(1699)の移築の際に、多くの手が加えられており、正確な建築年代は確認できない。ただし、実肘木・絵様肘木・木鼻などの曲線には寛永の様式が認められるようである。入口の左右に仁王像を安置し、楼上には釈迦如来、十六羅漢像を安置し、「東香山」の大額を掲げている。柱は禅宗様の円柱。下層の組物は禅宗様出組で、一軒の疎たるきを支えており、この絵様肘木と出桁の組み合わせが、この山門の特徴となっている。山廊を造らず、仁王像の後方から上層にあがるが、上層は逆蓮束の勾欄を巡らし、柱上は出組斗きょうを詰組とし、二軒繁たるきを扇たるきに配して、入母屋造り、銅板葺の屋根を受けている。
昭和60年「石川の文化財」より

 

大乗寺総門  附棟札1枚  (1棟)

寛文5年(1665)  井上平七郎浩吉造  附大乗寺伽藍
大乗寺  金沢市長坂町ル-10

県指定文化財  昭和57年1月12日指定

乗寺の伽藍が現在地に営まれ、元禄年間(1688~1704)完成までに約十数年を費している。今は仏殿・法堂を前後に配して、それを回廊で繋ぎ、向かって右側に方丈・庫裏・鐘楼、左側に憎堂・衆寮が配されており、仏殿の前の山門は回廊から独立し、さらに、その前方に総門が配されている。しかし、これは明治初年(1868)に伽藍の1部を撤廃した後の姿であり、以前回廊は延びて山門に達し、右側には延寿堂、浴室、経堂が配置され、左側に憎堂、東司があったことが、弘化版の「大乗護国禅寺惣図絵」に見え、山門・仏殿・法堂などの主要建物が、今なお旧状を保っていることが知られる。総門は、棟礼によって、山門とともに本多町大乗寺坂下の旧寺地から、元禄12年(1699)に移築されたもので、寛文5年(1665)の建立であることが知られる。1間薬医門、本瓦葺、間口3間の風格のある門で、脇塀をつけており、脇塀ともどもに木部を黒く塗っているため、「黒門」と通称されている。
昭和60年「石川の文化財」より

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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