ここから本文です。
本殿 承応2年(1653) 黒田太右衛門造
拝殿 元禄14年(1701) 池上兵助・池上亦三郎・与三兵衛造
石動山区長
鹿島郡中能登町石動山子乙-1・その他
県指定文化財 昭和42年10月2日指定
現存の伊須流岐比古神社本殿は、承応2年(1653)から翌3年(1654)にかけて、加賀藩の手により、石動山頂の大御前(標高565メートル)に建てられた本社(大宮・客人宮)本殿であり、加賀藩御大工黒田太右衛門が工事を指揮した。桁行3間・梁行2間の身舎に、3間の向拝を付けた入母屋造り、平入り、銅板葺、千鳥破風付き、向拝に軒唐破風を加えている。もと柿葺であったのを、弘化3年(1846)に銅板に葺き替えしており、軒唐破風はこの時に付けられたようである。明治7年(1874)に山頂から現在地に移された。入母屋本殿は、石川県下で数少ない遺構の1つである。拝殿は、元禄14年(1701)に建てられ、もと神輿堂であったが、明治7年(1874)に本殿を移築した際、拝殿として転用したもので、梁行7間、桁行4間の大きな建造物。入母屋造り、平入り、銅板葺、装飾的なものをほとんどもたない。拝殿の前には、講堂跡の大きな礎石が並び、本殿の背後には五重塔跡や籠り堂跡、開山堂跡が残り、天正の焼失以前の石動山の姿がしのばれる。
昭和60年「石川の文化財」より
寛保3年(1743) 大西久左衛門造
総持寺祖院 輪島市門前町字門前1-18甲
県指定文化財 昭和42年10月2日指定
寛保3年(1743)、加賀藩6代藩主前田吉徳の建立によるもので、棟札によれば、加賀騒動で有名な大槻伝蔵が奉行となり、建仁寺流の入唐大工横山権頭真吉備吉春の20代を名乗る大西久左衛門真吉備政乗の手によって竣成した。3間3面の宝形造り柿葺の身舎に、柿葺の裳層を付けた形式で、外観の上層屋根の軒先は扇たるきとし、棟には露盤をあげて宝珠をのせる。堂内中心には、一切経を納める巨大な回転式の輪蔵を造る。輪蔵は、八角宝形造りで、四手先の組物が扇たるきの屋根を受け、腰組も四手先で、縁を支えている。縁の上には、八角の各面に3列・7段、合計168個の引出の経筥を造り、経を納めている。全体に黒漆を塗り、金具を打った経筥が並ぶさまは華麗であり、輪蔵の心にある底から屋根上まで通された軸によって回転するようになっている。
昭和60年「石川の文化財」より
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
同じ分類から探す