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更新日:2010年3月18日

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尾崎神社・江沼神社長流亭

尾崎神社  本殿  附厨子・中門・透塀・拝殿及び幣殿
附棟札3枚(4棟)

  寛永20年(1643)  木原木工允造
  尾崎神社  金沢市丸の内5-5

尾崎神社

重要文化財  昭和25年8月29日指定

寛永17年(1640)に幕府から東照大権現の勧請を許された加賀4代藩主前田光高が、幕府の御大工木原木工允の設計により、翌々寛永19年(1642)に金沢城北ノ丸に起工し、翌20年(1643)に完成。別当として神護寺を置いた。
明治6年(1873)の神仏分離により、仏像・仏具を除き、翌年、尾崎神社と改めた。同九年(1876)に城内が陸軍省用地となったため現在地へ移ったが、移転料が600円しか下付されなかったため、費用が足りず、附属の諸建物を廃棄して、現存の建物だけを移築した。
拝殿は、3間2面の入母屋平入り、千鳥破風付、1間の向拝を付ける。幣殿は、1間2面で、拝殿に棟をT字型に接し、ともに本瓦型銅板葺。いずれも朱漆塗で、出組の斗きょう及び彫刻類が極彩色の華麗な社殿である。軒先は二軒繁たるきで、斗きょうは出組の支輪を吹き寄せにしているのが珍しい。
中門は幣殿と本殿の間に建ち、平唐門で、本殿と同じく本瓦型銅板葺。菱格子吹寄桟の桟唐戸を建込む。その両脇から透塀が延びて、本殿を取り囲んでいる。透塀は、現在、桟瓦葺になっているが、もとは本瓦型銅板葺であったと考えられる
本殿は、3間社流造りで、本瓦型銅板葺とし、内外陣に分かれ、内陣に厨子を安置する。内外部とも漆を塗り、彫刻や斗きょうを極彩色とし、錺金具を打ち、日光廟の仕上げを模して華麗である。厨子は、1間厨子で、入母屋造り、妻入り、本殿建設当初のものと認められる
昭和60年「石川県の文化財」より

 

江沼神社長流亭(1棟)

  宝永6年(1709)  塚本吉右衛門造
  江沼神社  加賀市大聖寺八間道

江沼神社長流亭

重要文化財  昭和25年8月29日指定

大聖寺藩3代藩主前田利直が、宝永6年(1709)に、藩邸の庭園の一隅に大聖寺川に臨んで建てた別邸で、当時は「川端御亭」と呼ばれていた。
棟札によって上棟年代のほか、奉行・大工などの名前も判明しており、意匠も江戸時代中期の特色をもった優秀な遺構である

間取りは中央2室を座敷とし、その4周を1間幅の入側で取りまき、上の間と下の間の仕切りを延長して、入側を仕切っている。上の間は6.5畳で、内側から床・床脇飾り棚・付書院を設け、花頭窓・欄間を付けている。この欄間の意匠は大柄で彫りも厚く、江戸時代初期の気風を持っており、花頭窓や建具の意匠とともに優れている。
入側の仕切りに入っている杉戸絵の花菱七宝模様の極彩色や、その上にかかる竹の節欄間の扱いも巧妙であり、玄関の桟唐戸の意匠も良い。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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