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更新日:2010年11月25日

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 飴釉手付水指・飴釉茶碗  銘聖

飴釉手付水指  (1口)

江戸時代初期(17世紀)
個人  金沢市
大樋美術館保管  金沢市橋場町2-17
口径11.1センチ  幅27.5センチ

飴釉手付水指
奥行き21.0センチ 底径16.7センチ  高さ28.5センチ

県指定文化財  平成12年10月24日指定

 

初代大樋長左衛門(1630-31~1712)は、河内国土師村の出身で土師氏23代目と伝え、明暦2年(1656)、京都に出て二条瓦町(河原町)に住む。加賀藩5代藩主前田綱紀の茶堂茶具奉行である裏千家4代仙叟宗室(1622~1697)が、寛文6年(1666)、京都から金沢へ出仕した折、長左衛門もちゃわん師として同道し、河北郡大樋村(現金沢市大樋町)に窯を築いた。本品は、肩から胴にかけ波状の箆目を力強くめぐらせ、胴の一方に太い注口、平らな肩には、太く大きな把手を設ける。蓋は共蓋で、海老の形をした摘みを装飾的に付ける。底を除き透明感のある飴釉が厚くかかり、滑らかによく溶けている。初代大樋長左衛門の水指は、変化に富んだ器形のものが多く、この水注形の水指もそのひとつである。また力強く豪快な作行きは、初代大樋長左衛門の特長が遺憾なく発揮され、代表作の1つに数えられる。内箱の蓋裏には、江戸時代中期の金沢の茶人湯川一井庵が、
「宗室上京の砌吾をしたハんにハ/此水さしを見よかし予も又/汝をなつかしく思ハん時は是を見るへしと今一つをいへつとに/せられし由元祖長左衛門申遺せしと/四代目勘兵衛か物語にまかせて記  一井庵  不言斎(花押)」
と、この水指のいわれを記している。これによれば、仙叟宗室が金沢を去るにあたり、同じ水指を2個焼かせ、互いに1個ずつ分け持ったことがわかる。本品は、初代大樋長左衛門の作品の中でも、作行きが極めてすぐれており、また大樋と宗室の関係を示すものとして重要である。

 

飴釉茶碗  銘聖(1口)

江戸時代初期(17世紀)
個人  金沢市
口径11.3センチ  高台径5.4センチ  高さ9.7センチ


飴釉茶碗  銘聖
県指定文化財  平成12年10月24日指定


縁は大きくうねり楕円状をなし、口から胴にかけて一方に大きく反らせた奇異な形姿である。また胴に三方、高台脇に二方、斜めに櫛目状の荒々しい箆目が付けられ、随所に削跡を残し、やや薄目に成形されている。高台は畳付きが細く小振りであり、高台内に高い兜巾が作られている。総体に大樋特有の飴釉が掛けられており、釉調はかせた趣を呈している。なお胴の一方に深緑色の釉を部分的に掛け、景色となっている。本品は、前田家の茶堂茶具奉行を勤めた裏千家4代仙叟宗室(1622~1697)好みの茶碗といわれており、箱蓋裏に「聖うつし  初代大樋作  仙叟へら添しならん  於是庵  精中(花押)」とある。また、箱の側面に「前田土佐守様  明和七年寅九月出ル聖長次郎茶碗大樋長左衛門写之」と記されている。初代大樋長左衛門が、長次郎の「聖」を写し、さらに仙叟が篦を加えたという。また、加賀藩年寄前田土佐守家の伝来と伝えられる。本品は、初代大樋長左衛門の作品の中で、とりわけ変化に富んだ作行きを示しており、一際異彩を放つ優品である。

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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