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更新日:2010年11月25日

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焼飯釜・葫蘆様釜

焼飯釜  (1口)鉉一把

江戸時代  貞享2年(1685)頃
個人  金沢市
総高19.4センチ  口径8.8センチ  胴径20.3センチ


焼飯釜
県指定文化財  平成12年10月24日指定

代宮崎寒雉(1631~1712)は、通称を彦九郎、名を義一という。晩年剃髪して一艸庵寒雉と称した。鳳至郡中居村(現穴水町中居)に生まれ、京都で鋳金の技法を学び、金沢に帰ってから藩の御用釜師となった。作品の多くは5代藩主前田綱紀が京都から招いた裏千家4代仙叟宗室の好み、指導による意匠のもので、侘びた趣の深い名品を多く残した。本品は、三角形の胴が直立し、肩と上底から中底にかけてが曲線を描いている。この特徴ある形状が三角むすびのようであり、焼飯釜と称される。一角の肩に茸の鐶付が付され、その近くの肩と胴にも茸を鋳出している。もう一方の鐶付は、琴柱をかたどる。共蓋も摘みを茸形にし、掻立鐶を伴う。この釜を収める箱の蓋裏には、享和3年(1803)、弧庵馬仏の箱書があり、「貞享二とせ仲秋の頃にや有けむ、仙叟、寒雉両士秋色のおかしきにめて、卯辰山茶臼山に茸狩し、とある松陰に舎り腰なる焼飯を解かんとす。仙叟誤テ取落ス。秋の草葉のへはり付、ころころと焼飯は谷へ落たりけり(略)四五日して寒雉新釜を鋳て仙叟へ送之(略)叟歓の眉を開き、春秋これを愛せは飢る事なしと賞翫す(略)」とその由来が記されている。本品は、初代寒雉の作品の中でも、特に独創性にあふれ、名器として古くから知られている代表作である。

 

葫蘆様釜  (1口)  鐶一双

江戸時代  天和4年(1684)
天徳院  金沢市小立野4丁目4-4
石川県立美術館保管  金沢市出羽町2-1
総高19.7センチ  口径11.6センチ  胴径26.6センチ


葫蘆様釜
県指定文化財  平成12年10月24日指定

造りは輪口で、花の実摘みの共蓋落込み蓋が付く。葫蘆様いわゆる瓢箪の形をした釜で、下部の胴に遠山の鐶付が付き、釜肌は、ざっくりとした荒肌である。天和4年(1684)、金沢の天徳院第3世月坡道印(1637~1716)の需めに応じて作られたもので、瓢箪の形は禅宗において禅機の奥義の大成を意味する。注文主の名から別名「月坡釜」とも呼ばれる。月坡禅師は曹洞宗の僧であるが、黄檗宗の隠元や木庵にも学んだ高僧で、前田綱紀の依頼により加賀に来た。のち徳川光圀に招聘され水戸に赴いたが、天和元年(1681)、再び加賀に来て暫く天徳院3世として住持した。釜の共蓋蓋裏にこの釜の制作意図を詩文化した月坡禅師の筆跡が、陽鋳してある。初代寒雉の釜の中には、仙叟好みの作品が多いが、この作品は、禅宗の名僧が注文主としてわかっており、虚飾を排した形象といい、禅寺の茶の湯釜にふさわしい逸品である。また、共蓋蓋裏の詩文の陽鋳銘により制作年代が確定され、寒雉54歳の脂の乗りきった時期の作品として貴重である。

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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