• ホーム
  • くらし・教育・環境
  • 医療・福祉・子育て
  • 観光・文化・スポーツ
  • しごと・産業
  • 社会基盤・地域振興
  • 県政情報・統計

ホーム > 観光・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 文化財 > 石川の文化財 > 歴史資料(県指定) > 白峰林西寺白山下山仏  附仏体等品目・伊夜比咩神社棟札

ここから本文です。

更新日:2014年5月23日

白峰林西寺白山下山仏  附仏体等品目・伊夜比咩神社棟札

白峰林西寺白山下山仏 附仏体等品目(仏体8点文書1点)

永禄7年(1564)  
林西寺  白山市白峰イ68

白峰林西寺白山下山仏 

県指定文化財  昭和54年12月19日指定

文8年(1668)以降、越前馬場平泉寺の支配下におかれてきた白山山頂が、明治5年(1872)に、石川県能美郡(現白山市)に帰属させられたことにより、翌々明治7年(1874)になって、石川県令内田政風は、白山山頂の神仏分離を強行し、山頂一帯の堂舎に安置されていた仏像・仏具を廃棄した。さいわい、仏像の破壊をおそれた信仰あつき白山麓18ヶ村の総代の出願により、山頂から下山させられた仏像は、牛首(白峰)林西寺と尾添村に預けられることとなり、「白山下山仏」の名で安置され、今日に至っている。林西寺境内の白山仏堂に伝えられているものは、山上三社や室堂などに奉納されていた8体即ち、銅造十一面観音坐像(大御前本地仏、文政7年《1824》在銘)・銅造阿弥陀如来坐像(奥之院本地仏)・銅造聖観音菩薩坐像(別山本地仏)・銅造地蔵菩薩坐像(六道辻地蔵堂安置)・木造泰澄坐像(室堂安置)・木造薬師如来坐像(市之瀬薬師堂安置)・木造如来形坐像・銅造雨宝童子立像である。神仏分離の歴史的事実を今に伝える、これら下山仏は、貴重な資料であるといえよう。
昭和60年「石川の文化財」より

 

伊夜比咩神社棟札 (32枚)

嘉元4年(1306)から明治23年(1890)  
伊夜比咩神社  七尾市能登島向田町

 伊夜比咩神社棟札

県指定文化財  昭和58年1月25日指定
  
夜比咩神社と相殿神明社・八幡社・白山社などの社殿・鳥居・神輿の造営・修復などのおり作製された棟札32枚(35点)である。最も古いものは、鎌倉末期の嘉元4年(1306)2月の伊夜比咩神社御殿造立棟札、最も新しいものが明治23年(1890)9月の伊夜比咩神社鳥居再建棟札で、そのうち中世の棟札8枚(裏面を別の棟札に転用したもの1点を加えて9点)、近世の棟札22枚(24点)、近代の棟札2枚よりなる。中世から近代までの棟札が一貫して伝蔵されているものは、石川県では類例はなく、ことに中世から近世初頭にかけての伊夜比咩神社と相殿各社造営の歴史をみると、鎌倉末期から南北朝時代には能登島地頭長谷部宗信、同宗成が願主となり、室町期から戦国期にかけて向田村地頭温井氏歴代をはじめ、遊佐氏(守護代)、地頭の冨田・池田氏ら畠山近親の中世領主が施主となり、近世初頭には前田家(加賀藩主)家臣の村井氏が大檀那となって造営するなど、伊夜比咩神社を外護してきた背景をみることができる。また社家や僧侶・番匠・奉加衆などの変遷を通観することが可能であり、長期にわたって能登の社会情勢や信仰形態を追跡できる貴重な歴史資料である。
昭和60年「石川の文化財」より

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

Email:bunkazai@pref.ishikawa.lg.jp

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?