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更新日:2016年3月25日

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加賀の手漉和紙の製作用具及び民家・加賀象嵌製作用具・北陸地方の木地製作用具

加賀の手漉和紙の製作用具及び民家(447点・1棟)

  江戸~明治時代
  金沢市  

加賀の手漉和紙の製作用具及び民家

重要有形民俗文化財  昭和49年2月18日指定

 

加賀の手漉和紙は、江戸時代から明治前期まで、「加賀奉書」として名声が高く、主産地は河北郡二俣村(現金沢市二俣町)であった。加賀藩初代藩主前田利家が御料紙製造を命じたという伝があり、2代藩主利長は、朝廷に献上し、桂離宮の松琴亭の床と襖の張付に使用し、大奉書紙が幕府に献上された。二俣村に隣接の田島村も、御料紙製造を出願して果たせなかったものの、同時に技術がすぐれ、金箔製造に使用する澄打紙は二俣をしのいだ。明治維新で藩の保護を失って衰微し、山地農村を助けた紙漉業も、現在、田島は絶滅し、二俣で一部が存続するのみとなった。
これらの産地の手漉和紙製作の用具が、幸いにして多数収集されたものがこの資料であり、原材料関係22点、製紙関係397点、服装・灯火関係27点、計126種447点に及ぶ。また御料紙漉きの由緒ある二俣の園田家を移築し、工房と紙屋建ちを復元した。
これらの資料は、質量ともに備わり、この地方における職能の一様相を示すものとして重要である。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

加賀象嵌製作用具(3000点)  

 近代
  金沢市  

加賀象嵌製作用具

重要有形民俗文化財  昭和49年11月19日指定

 

加賀藩は、藩の細工所で金属象嵌技術の工人を養成し、武具・調度・建具などに金工的装飾を施させた。
加賀象嵌は、鉄・銅などで作られた地金の表面に模様を彫って、金・銀などの種類の異なる金属の嵌め込み装飾を行う、彫金の工芸技術であり、精密な線象嵌と、色彩の異なる金属を重ねて嵌入する華麗な鐙象嵌の伝統に特色があり、象嵌部分が容易に脱落しない堅牢な技法でも知られる。
明治初期の象嵌工人は失職の状態にあったが、保護対策として金沢銅器会社が設立され、すぐれた技術により、外国向けの象嵌の花瓶・香炉・置物を生産したことが契機となって、近代に守り伝えられ、この時期より加賀象嵌は武具などから工芸品装飾に転じた。
この製作用具3000点は、県指定の無形文化財保持者であった米沢弘安の遺品で、図案・型作り・生地作り・図付け・彫り・研削・孔明け・仕上げ・色つけ・計測・掃溜などの各工程にわたる用具のほか、道具箱・製品型にいたるまで巨細にわたり分類整理したもので、地域的な職能の様相を示すものとして重要である。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

北陸地方の木地製作用具(1296点)  

江戸時代~近代
  金沢市  

北陸地方の木地製作用具

重要有形民俗文化財  昭和47年8月3日指定

 

収集された木地製作用具は、能登を中心とし、石川・福井・新潟各県の木地師集落からの264種1296点である。内訳は、椀・杓子木地用具93種279点、角物木地用具141種940点、臼・太鼓胴作り用具30種77点、参考品79種290点である。
木地とは、漆器の素材で、木地師はケヤキ・ブナ・トチなどを山林に求め、伐採して乾燥させ、椀の場合、テオノで荒木取りをし、ナタでコロに切り、二つ切りにして四角にし、八角にはつり、角を落とし、轆轤挽に他の一人がノミを当てる。運搬具・刃物・台なども具備する。
奥能登柳田村合鹿の木地・漆器業は、室町時代が最盛期で明治に至り、近世には輪島が独自に技術と生産とを発展させ、角物(膳部)などの注文も増加した。加賀山中町も、中世以前からの技法を伝えた。
この収集は、各種の木地製作用具をよくとりまとめたもので、質量とも備わり、地域的な職能の一様相を示すものとして重要である。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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