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ホーム > 観光・交流・文化 > 文化・芸術 > 文化財 > 石川の文化財 > 彫刻(国指定) > 銅造阿弥陀如来坐像・銅造十一面観音立像・銅造如来及両脇侍像

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更新日:2014年5月23日

銅造阿弥陀如来坐像・銅造十一面観音立像・銅造如来及両脇侍像

銅造  阿弥陀如来坐像  本堂安置(1躯)

平安時代前期
伏見寺  金沢市寺町5-5-28
像高  22.1センチ

重要文化財  昭和25年8月29日指定

伏見寺は、真言宗に属し、山号を行基山といい、はじめ石川郡の伏見にあったが、元和元年(1615)僧快存の代に野田寺山に寺地を得て、移転し、今日に至っている。
本像は、当寺の本尊で、造法は一鋳になる銅造鍍金の像である。小品ではあるが、大ぶりな頭部、張りのある頬や肩、豊麗な体躯、太く簡潔な衣文などは力強い表現を示し、印相は胸の前で下品中生に結んでいる。
年代的には、平安時代前期(貞観期)の制作になるかと推定され、金銅仏の数少ない平安時代にあって貴重な作例である。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

銅造  十一面観音立像(1躯)

平安時代後期
林西寺  白山市白峰イ68
像高  71センチ

銅像  十一面観音立像重要文化財  昭和46年6月22日指定

明治7年(1874)、白山山頂・大御前などにあった仏像9体が、「白山下山仏」として、牛首(白峰)林西寺に移された中の1体が、この像である。『白山紀行』に「大御前本地十一面観音二体あり、金仏なり、小さきは年代不知、又奥州の秀衡造立ともつたはる古仏なり」とあるように、近世までの大御前峰の宮には大小2躯の本地仏(十一面観音像)が安置されていた。このうち、藤原秀衡寄進と伝承される「小さき古仏」に相当するものが、この像である。別鋳法といわれる、仏像を細分して鋳造し、組み合わせる手法を用いており、本体・両手・天衣・頂上仏面・台座を、それぞれ別に鋳造している。鍍金をした金銅像であったが、今は剥落して、鍍金は部分的にしか残っていない。
金銅仏の少ない平安時代にあっては、屈指の大きさをもつ希少な優品である。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

 

銅造  如来及両脇侍像(1対)

飛鳥時代
薬師寺  鳳珠郡能登町布浦オ-35
本尊  坐高  17.2センチ  総高  31.2センチ
右脇侍  総高  17.3センチ  
左脇侍  総高  16.8センチ

銅像  如来及両脇侍像
重要文化財  昭和60年6月6日指定

布浦の九ノ里薬師寺に伝わり、近世に「能登十二薬師」の一つに数えられているように、地元では古くから薬師三尊像として信仰を集めてきた。右の脇侍の頭上に化仏が表現され、左の脇侍が宝瓶を持つなど、通常の薬師三尊像と異なるところがあるため、単に「如来」の名称で重要文化財に指定されているが、そのことは、造像の模範となる儀軌が確定する前段階の古い作例であることを示すものであり、古代の信仰を尊重して「伝薬師三尊像」と表現しても不都合はない。
如来像の、肩を大きく被う厚手の衣が宣字形の台座に垂れて懸裳となる手法や、特長ある襞の表現などに、飛鳥様式が鮮やかに息づいている。古代的な微笑を浮かべた童顔や、やわらかさを増した宝冠、瓔珞の表現には、続く奈良時代初期への移行の気配があらわれており、7世紀後半の制作と考えられている。縁起は、海中から出現したと説き、古代朝鮮からの渡来仏とする説もあるが、仏教の信仰が定着しはじめた当初の、きわめて早い段階の作とする見解が穏当であろう。
3尊ともに金銅像(鋳銅・鍍金)で、鍍金の保存もよく、確かな技量が、小像であることを感じさせない大らかな造形美を生み出しており、初期の仏教文化を語る貴重な作例の一つである。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

Email:bunkazai@pref.ishikawa.lg.jp

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