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更新日:2018年8月29日

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銭屋五兵衛家年々留  附留帳・小宮山家文書

銭屋五兵衛家年々留 附留帳 (4冊)

江戸時代末期
個人  金沢市
(石川県銭屋五兵衛記念館保管  金沢市金石本町ロ55)

 

銭屋五兵衛家年々留 附留帳

県指定文化財  昭和59年7月10日指定

世末期に加賀国石川郡宮腰町(後の金沢市金石地区)に居住した回船業者銭屋五兵衛家の当主の記した留帳。「年々留」の第1冊(長帳、墨付190枚)は、文政11年(1828)の起筆で、天保14年(1843)頃までの記載があり、若干の異筆部分を除くほかは、ほとんどが銭屋五兵衛自身の筆になる。第2冊(長帳、墨付135枚)は、天保14年(1843)の起筆で「銭五事件」直前の嘉永5年(1852)3月まで記載され、五兵衛が記しているが、途中から長男銭屋(清水)喜太郎の筆が加わる。内容は、家訓にはじまり、船の新造や難船の記事のほか、土地・家屋・道具類の購入や交際の様相など多方面にわたり、銭屋五兵衛家の盛時の動向が書き留められている。銭屋五兵衛家の史料は、「銭五事件」による闕所のため、ほとんどが失われており、わずかに亡失を免れた年々留」は、現存する唯一の基本史料といえる。また、「留帳」は、家名再興が許された後に、喜太郎の次男銭屋(清水)余三郎によって作成されており、第1冊(袋綴、墨付116枚)は、文久4年(1864)に起筆されて慶応3年(1867)頃に及び、第2冊(袋綴、墨付162枚)は、慶応3年(1867)起筆で明治5年(1872)に至る。この「留帳」も、単に再興以降の銭屋に関する基本史料であるにとどまらず、加賀藩政終末期から明治維新期の海運ならびに政治の動向を知るための重要な記述を含む。
昭和60年「石川の文化財」より

 

小宮山家文書 111点

天正19年(1591)~万治3年(1630)  
石川県立歴史博物館  金沢市出羽町3-1


小宮山家文書
県指定文化財  昭和63年4月8日指定


宮山家(通称  高嶋屋)は、越前敦賀(現福井県敦賀市)の廻船業者で、天正末期から寛永にかけて加賀藩前田家の蔵米の裁許を一手に引き受ける蔵宿も努めていた。当時の敦賀は日本海海運の中継基地であり、高嶋屋は加賀藩のみでなく東北、北陸から近畿への流通物資を幅広く取り扱って財をなした豪商である。小宮山家文書は前田家歴代当主(利家、利長、利常、光高)並びにその一族の書状(朱印状、黒印状、礼状など)を中心に、前田家家臣(横山、奥村、長など)の書状、敦賀歴代領主並びにその家臣の書状などを含んでいる。特に利長が高嶋屋に前田家の米の裁許権を保証した朱印状や戦時の兵粮米の輸送を命じる朱印状などで、戦国末期から大名と豪商とが蔵米の取り扱いを通じて提携を強めていく様子が分かって貴重であり、本文書は、戦国末期~江戸時代初期の日本海海運と経済の実態を知るうえで意義ある一括資料といえる。 また資料の一部は、その内容の重要性から郷土史の諸本に引用され、その存在は早くから知られていた。

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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