緊急情報

閉じる

現在、情報はありません。

印刷

更新日:2010年3月17日

ここから本文です。

三十六歌仙切(朝忠)佐竹家伝来

 紙本著色  三十六歌仙切(朝忠)佐竹家伝来(1幅)

 鎌倉時代
  個人蔵  金沢市
  縦  36.0センチ  横  57.6センチ

 

三十六歌仙切(朝忠)佐竹家伝来

重要文化財  昭和25年8月29日指定

 

紙本著色  三十六歌仙切(忠視)佐竹家伝来(1幅)

  鎌倉時代
  個人蔵  金沢市
  縦  36.0センチ  横  57.6センチ


三十六歌仙切(朝忠)佐竹家伝来

重要文化財  昭和25年8月29日指定

 

平安時代中期に、藤原公任(966~1041)が『万葉集』・『古今集』・『後撰和歌集』のなかから36人の歌人を選んだのが、三十六歌仙の始まりとされ、鎌倉時代に、歌仙尊重と似せ絵の流行によって、「三十六歌仙絵」が生まれたとみられる。
現存のもので、最も古く、傑出しているのは、「佐竹本三十六歌仙絵」(佐竹家旧蔵)で、書は後京極(藤原)良経、絵は藤原信実と伝える。もと2巻であったが、大正8年(1919)に、一歌仙ごとに分割され、諸家に分蔵されているうちの2幅である。
藤原朝忠は、右に「中納言従三位藤原朝忠  三条右大臣定方卿二男母中納言山蔭女  別当右衛門督延喜御時人号土御門中納言  あふことのたえてしなくはなかなかに  人をも身をもうらみさらまし」と、朝忠の略歴と和歌が記され、衣冠束帯で斜め後向きの朝忠の姿を描いている。肩の張った強装束で、束帯の黒袍は彫塗の技法で白い直線を残し、端正な形であり、後に流した裾の線は流麗で、当時の優雅さを感じさせる。
もう1幅の壬生忠視も、右に「攝津権大目壬生忠視  御厨子所定外膳部右衛門府生忠岑子  天徳御時人也  やかすともくさはもえなむかすか野を  たゝはるの日にまかせたらなむ」と記す。おいかけをつけた巻纓の冠は武官であることを示し、袍は地下(6位以下の官人)がつける装束である。彫塗であらわされた白い線はやわらかく、少しうつむき加減の顔には、もの思う静かな表情があらわされている。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報はお役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?