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更新日:2010年9月14日

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大般若経巻第二百四十九  和銅五年十一月十五日長屋王願経・紺紙金字 法華経巻第四 平清盛・頼盛筆 附蒔絵経筥一合

 大般若経巻第二百四十九  和銅五年十一月十五日長屋王願経(1帖)

  和銅5年(712)
  本誓寺  白山市東一番町12
  縦  23.8センチ  横  8.6センチ

大般若経巻第二百四十九  和銅五年十一月十五日長屋王願経

重要文化財  昭和25年8月29日指定

文武天皇(683~707)の追善のため、天皇の従弟にあたる長屋王(684~729)が、その旧居の北宮に経生を集めて発願書写した大般若波羅蜜多経600巻のなかの1巻。各巻末に和銅5年(712)の願文があることから、世に「和銅経」と称され、年紀を有するわが国最古の大般若経の遺品として、かつ奈良時代前期の代表的写経として名高い。
長屋王は、天武天皇第1皇子高市皇子の第1子で、書写当時は式部卿であった。のちに左大臣となり、政権首班の座を占めたが、神亀6年(729)に光明立后問題をめぐる藤原氏の陰謀の犠牲となって自尽した。
この経は、全部で220巻が現存しており、まとまった遺巻に滋賀県土山町の太平寺・見性庵・常明寺所蔵本があるが、本帖は、その零本で、もと巻子本であったのを折本に改装している。明治5年(1872)に養ろ徹定が本誓寺住職松本白華所蔵の本帖を見たとの記録があり、それ以前に本誓寺に入ったことが知られる。
写真は、巻首と巻尾。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

紺紙金字 法華経巻第四 平清盛・頼盛筆 附蒔絵経筥1合(1巻) 

 承安元年(1171)
  個人蔵  金沢市
重要文化財  昭和25年8月29日指定

本経巻は、平清盛(1118~1181)・頼盛(1131~1186)兄弟が書写したものである。奥書(現在は巻頭に置かれている)には、「承安元年六月十三日書写了、参議正三位右兵衛督平朝臣頼盛、端四十八行入道太相国御自筆也」とあり、書き出しの48行を清盛が書き、後を頼盛が書き足したことが知られる。
広島県の厳島神社に伝わる、いわゆる「平家納経」33巻は著名であるが、同社には、このほかに、清盛・頼盛が嘉応2年(1170)9月より承安2年(1172)6月まで約2年をかけて書写し奉納した、紺紙金字の法華経7巻と観音経が伝わっている。もとは10巻1具であったものといわれ、本経巻は、このうちの1巻に相当する。
なお、蒔絵箱の経島の図は、狩野探幽の下絵を、加賀3代藩主前田利常の御用細工人であった清水九兵衛が蒔絵したもの。経巻の軸は後藤程乗が金無垢で龍虎を彫金した上に、水晶を覆っている。外箱の箱書は利常で、前田家の旧蔵品。
昭和60年「石川県の文化財」より

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

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