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ホーム > 観光・交流・文化 > 文化・芸術 > 文化財 > 石川の文化財 > 書跡・典籍(国指定) > 紙本墨書三宮古記・ 紙本墨書白山宮荘厳講中記録・紙本墨書 神皇正統記

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更新日:2010年9月14日

紙本墨書三宮古記・ 紙本墨書白山宮荘厳講中記録・紙本墨書 神皇正統記

紙本墨書  三宮古記(1冊)

  南北朝時代
  白山比咩神社  白山市三宮町2-105
  袋綴  41丁  縦 27.2センチ  横  19.7センチ
 

三宮古記

重要文化財  昭和25年8月29日指定

正しくは「白山本宮古記」と証すべきであるが、江戸時代後期に、富田景周が、「三宮古記」と命名したため、これに従って通称されている。鎌倉末期の正安年中(1299~1302)から南北朝末期の明徳年中(1390~1394)に至るまでの、約1世紀にわたる白山宮加賀馬場本宮の雑録。
本宮免田の配分、諸講会、水引神人や祭礼と諸芸能、さらに四所貫主次第、社殿回禄の記事などが収載されており、中世の白山宮加賀馬場本宮の経済・職制・諸行事の構造などを知るうえで貴重である。ただし、首部と末尾を欠くほか、料紙の下部を欠損しており、内容全体の把握が困難であることが惜しまれる。
写真は、第15紙裏から第16紙表にかけて。白山水引神人(紺掻)に関する注進状が収録されている。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

紙本墨書 白山宮荘厳講中記録(1冊)

  室町~戦国時代
  白山比咩神社  白山市三宮町2-105
  袋綴  46丁  縦  30.6センチ  横  24.8センチ

白山宮荘厳講中記録

重要文化財  昭和25年8月29日指定

承元3年(1209)から弘治2年(1556)までの白山宮加賀馬場本宮の年代記で、すべて白山寺荘厳講請定(廻文)の紙背を用いて綴られている。荘厳講の記事を中心に、白山本宮内の荘厳講衆徒と常行堂衆の争いや、本宮と金剣宮との確執、さらには祭礼・災害・一向一揆など、中世を通して、白山宮加賀馬場とそれをとりまく政情・争乱を記録しているが、年代が前後している部分もあり、筆跡も何度か変わっているほか、追筆を予定した余白も多く、数人の荘厳講衆徒の手により、順次書き継がれたものと推定される。中世の白山宮加賀馬場の動きを示す基本史料として重要な価値を有する。
写真は、文明6年(1474)条で、加賀一向一揆の成立を伝える。
昭和60年「石川県の文化財」より

 

紙本墨書 神皇正統記(4冊)

  室町時代
  白山比咩神社  白山市三宮町2-105
  縦  26.36センチ  横  17.58センチ

神皇正統記

重要文化財  昭和25年8月29日指定

『神皇正統記』は、北畠親房(1293~1354)が、南北朝内乱期の暦応2年(1339)、常陸国小田城在陣中に執筆し、のちに修訂を加えて後村上天皇に献じた歴史書であり、神代から後村上天皇に至る天皇の事績や歴史の推移を述べ、特に南朝の正統性を強調することに主眼が置かれている。
原本は現存しないが、写本はかなり伝存している。この写本は、「白山本」の名で知られ、4冊より成る完本で、永享10年(1438)に書写されたものであり、最も古い写本の部類に属する。筆写は不明であるが、翌永享11年(1439)に、加賀の温谷護法寺で『白山之記』を書写した定成ではないかと推定されている。戦国期には、白山本宮の神主上道氏の手にあったことが知られ、近世に入って、上道氏の断絶後、同じく神主であった建部氏に伝えられ、明治維新後に社蔵となったものである。
本書の巻末には、北朝の系譜が記入されており、ほかに加筆された部分もあるが、原型がかなり忠実に伝えられているといわれており、原本が存しない現在、歴史的に極めて貴重な写本である。
昭和60年「石川県の文化財」より

お問い合わせ

所属課:教育委員会文化財課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1841

ファクス番号:076-225-1843

Email:bunkazai@pref.ishikawa.lg.jp

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