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更新日:2013年8月14日

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七ヶ用水

七ヶ用水の概要

  大日川ダムの代表的な受益地域として手取扇状地があります。手取扇状地の中心には手取川が流れ、右岸地域約6,500haの農地を七ヶ用水がうるおしています。七ヶ用水は富樫、郷、中村、山島、大慶寺、中島、新砂川の七つの用水が合併したもので、明治36年に設立されました。手取川の白山堰堤から取水を行い、農業用水だけでなく発電、防火用水、融雪用水などにも利用されています。

用水関係図

七ヶ用水誕生の歴史

  七ヶ用水の誕生は、江戸時代末期に枝権兵衛、小山良左衛門によって行われた、富樫用水の改修がきっかけと言われています。その頃の取水口は、七つの用水がそれぞれ手取川に堰を築き取水していましたが、夏の日照りが続くと水不足となり、また洪水のたびに堰や取入口が壊されるといった被害に、農民たちは大変困っていました。富樫用水の改修は1年中水がたまっている安久涛ヶ淵(あくどがふち)、現在の白山市白山町から300mのトンネルで取水するというもので、明治2年に完成しました。
  明治31年、明治の大改修といわれた合口事業に着手しました。合口事業は手取川の氾濫を防ぎ、安定した水量を確保するため、七つの用水の取水口を合併するというものでした。この明治の大改修は枝権兵衛らが行った事業が参考となり、手取川の安久涛ヶ淵に大水門、3つの隧道、7.8kmの幹線水路が整備されました。  明治36年、事業の完成と同時に手取川七ヶ用水普通水利組合が組織され、現在の七ヶ用水が誕生しました。

明治36年七ヶ用水取水口の写真
明治36年七ヶ用水取水口

昭和の大改修と大日川ダム

  昭和9年、未曾有の大洪水により手取川の川底が低くなったため、取水口を大水門の上流700mに移しました。その後、農林省(現在は農林水産省)が戦後の食糧増産を打ち出し、大日川ダムが計画されました。大日川ダムは夏期の用水確保として期待されましたが、七ヶ用水の幹線、支線水路の水漏れがひどく、改修が必要となっている状態でした。昭和40年、昭和の大改修と呼ばれる水路改修に取り組み、昭和57年に完成しました。昭和の大改修と大日川ダムの完成により、水不足に悩むことは無くなりました。

手取川に設置された白山堰堤の写真
手取川に設置された白山堰堤

七ヶ用水に関する詳しい情報はこちらのホームページをご覧下さい。
手取川七ヶ用水土地改良区ホームページ  http://www.shichika.or.jp/(外部リンク)

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お問い合わせ

所属課:農林水産部大日川ダム管理事務所 

石川県白山市阿手町乙2-7

電話番号:076-254-2120

ファクス番号:076-254-2929

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