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更新日:2018年1月10日

知事記者会見(年頭知事会見) - 平成30年1月4日 - 1 金沢城「鼠多門・鼠多門橋」の復元

 金沢城、工芸館、新県立図書館

次は、金沢城の鼠多門と鼠多門橋の復元に向けた状況であります。 

金沢城「鼠多門・鼠多門橋」の復元

(1)鼠多門について

鼠多門の特徴:図1(JPG:268KB)

    まず、「鼠多門」については、パワーポイントにも出ていますが、3年前から埋蔵文化財調査を進めてまいりました。これまで、発掘調査の成果や古写真・絵図文献等の史料に基づき、既に設計を終えておりまして、先月末、工事に着手して、平成32年中の完成を目指して工事を進めていくということにいたしております。

     図面左側が明治初期の写真で、右側が復元後のイメージということでありますが、この門は大きく3つの特徴が挙げられるわけであります。

    1点目は、江戸初期に創建されたとされておりまして、城内の多くの建物が焼失した宝暦の大火(1759年)でも焼失をすることなく、創建以来、明治17年に焼失するまでの約250年間存在し続けた門ということであります。

    いわば金沢城の歴史を全て知っている、そういう門だと言うことができるわけであります。

    2点目は、城内の三御門、河北門・橋爪門・石川門と異なり、石垣の間に通路が設けられまして、その石垣の上に2階建ての建物がある構造で、その規模は、金沢城内で最も規模の大きい河北門よりは若干小さく、石川門とほぼ同規模であるということが判明をいたしました。

    3点目は、これまでの発掘調査などの結果、城郭建築では全国的に例がない、平瓦の周囲を白ではない黒い漆喰で仕上げる黒い海鼠漆喰が使用されていたことが判明いたしました。

    従って、復元にあたりましては、黒い海鼠漆喰で復元するということにいたした次第でございます。

    今言ったように、江戸時代初期にこの門は創られて、明治17年に焼失するまで250年間、この門は存在し続けたという極めて金沢城の歴史の中では珍しい門であります。そして石垣の間に通路がある、その上に建物がある、そういう特徴があるということと、もう一つは何と言っても城郭建築としては例のない黒い海鼠漆喰が使用されていた。これは埋文調査の結果、これが判明した。白壁の上に2ミリから5ミリの厚さで黒漆喰が使われていると。

    ですからイメージとしては、こういう黒壁の門ということで、全国に松本城とか松江城とか黒いお城がありますけど、あれは黒板のお城なんですね、黒い板壁。こういう黒い海鼠漆喰を使ったお城というのは金沢城以外には現在のところありません。だから全国的にはあまり例を見ないお城、門ということができる。

    もっと想像力を逞しくすれば、江戸時代初期にあったということですから、ひょっとしたら江戸時代初期の金沢城は、こういう黒漆喰のお城であったかもしれない。今我々は江戸時代後期の金沢城を復元しておりますので、これは全て白壁ということになるんですが、江戸時代初期はひょっとしたら、これは誰も分からないけれども、金沢城は全体が黒壁のお城であったかもしれない、そんな想像すらできるほどの迫力がある門だったというわけであります。でも、写真を見たらほとんど白壁じゃないかという話になるかもしれない、これはもう江戸時代初期に創建されて長い間ほったらかしになっていたので、黒い漆喰が全部落ちて、下の白壁が見えているので白壁の門というイメージがありますが、埋文調査の結果は白壁の上に黒漆喰が2ミリないし5ミリ盛られていたということでございますので、こういう門として復元することがもちろん正しいというのが我々の立ち位置である、こういうことであります。

鼠多門の内部:図2(JPG:517KB)

    次に鼠多門の内部でありますけれども、左が1階平面図であり、右が2階の内部ということになります。

    1階には出入口が二の丸側のここに2ヶ所ありまして、2階に登る階段は、史実に基づき復元をいたしますが、階段が急勾配でありまして、およそバリアフリーとは程遠い存在ということになりますので、緩勾配、緩やかな勾配の階段もあえて我々は設置することにいたしました。こちらが復元階段、非常に急勾配で2階の昇り降りはなかなか難しい。史実に従うとこの階段になるわけでございますが、2階の昇り降りができませんので、もう1つこちらに緩やかな勾配の階段をですね、江戸時代当時はなかったわけですけれども、これをつくることによって2階に上がりやすいようにいたしたいと考えているわけでございます。

    そして2階は、河北門や橋爪門と同様、鼠多門の復元工事等についてわかりやすく紹介する展示を行うということにいたしております。

    河北門や橋爪門の復元の際に実施した、外壁の平瓦と内部の壁板に、お名前や記念のメッセージを直筆で記入していただくいわゆる寄進事業を今回の鼠多門の復元にあたっても実施したいと考えております。

    寄進の口数は、河北門とほぼ同じ約2,900口を予定しておりまして、そのうち平瓦は1,100口、壁板は1,800口を予定しているところでございますので、どうぞ応募いただきたいと思います。

    寄進は、平成31年から募集を行う予定としており、是非、多くの皆様方に寄進いただくことを期待をいたしているところでございます。

(2)鼠多門橋について

江戸後期の鼠多門橋:図3(JPG:257KB)

    次は、鼠多門橋でございますが、現在設計作業を進めています。

    鼠多門橋は明治10年に老朽化により撤去されましたが、これまで発掘調査や、絵図や古写真により、江戸時代後期の木橋の姿の解明を進めてまいりました。その結果、1基あたり3本からなる橋脚が6基ある、長さが29m、幅が5.5mの木橋であり、現在の尾山神社に取り付いていたことが判明いたしました。また、当時の堀の底や水面も明らかになりまして、画面では、茶色の線が江戸初期の堀底、黒の線が江戸時代に土砂が堆積した後の江戸後期の堀底、緑色が現在の地盤、ここですね。

    江戸時代初期の掘底は茶色のこれであった、その後土砂が堆積をしていったので江戸時代後期はこの黒の線が掘底であった、そして今現在の位置はグリーンで、ここは市道として使われている。ここは車道で、ここは歩道となっているということが判明してきたわけでございます。

    また、現在は画面の右側にあるように、市道や歩道が通っておりますことから、江戸時代と同じように復元するのは難しいということでございます。車や歩行者の通行に支障をきたさないように復元をするためには、橋脚の形状や位置、構造などを少し変えなければならない、そういう検討を進めてきたわけでございます。

復元する鼠多門橋の形状:図4(JPG:736KB)

    ひとつは橋脚の数は江戸時代と同じ、1基3本の橋脚を6基整備する、この方針は変わりません。6基のうち右側の3基については、車や歩行者の通行の支障がないよう、江戸時代とは位置を変えて、残る左側の3基は往時の位置に配置をする。

    何を言いたいかというと、ここは道路で使われていないので江戸時代当時の橋脚をそのままの場所で復元をする。

    この3本については江戸時代ここにあったんですが、ここに整備をしたのでは車が通行できない。当時ここはお堀でしたけど、今はこれ市道になっておりますので、車が通行できるようにするためには、この柱をずらさなければいけない。

    ここにある柱をそれぞれ赤のこちらへずらして、車や歩行者が通行できるようにする。これはもうやむを得ないですよね。今はもうお堀ではないわけですから。これは江戸時代とは少し違った形になるわけです。

    そして、大型車両も通行できる高さ約4.7mを確保するため、橋の高さも江戸時代より高くします。

    江戸時代の橋はこういう橋でありましたけど、これでは大型車輌が通行できない。この橋を上へここまでですね、4.7mに上げる、上げる形で大型車輌が通行できるように、こういう配慮はせざるを得ないというわけですね。

    そして、橋の長さも江戸時代と比べて約9mほど長くなりますので、江戸時代当時の長さを認識できるようにするために、橋の中央部と両端で高欄の形状を変えるということになりました。

    江戸時代の橋はここからここまで、29m。これでは橋が、現在ではもうつながらないのでここを継ぎ足さなければいけない。これは江戸時代にはなかった部分ですからこの高欄の形状をここは変える。これは今我々が橋を継ぎ足した部分であるということを分かりやすくする。江戸時代の橋はここからここまで、これを分かりやすくしておく、そういう修正を加えることといたしております。

鼠多門橋の完成イメージ:図5(JPG:676KB)

    次に鼠多門橋の完成イメージでありますけども、左側は、広坂の合同庁舎側から金沢商工会議所方面を見た姿でありまして、右側が鼠多門、左側が尾山神社ということになるわけであります。  

    このパースからもお分かり頂けると思いますけれども、橋の上部の高欄や通路部分は全て木造といたしますけれども、橋脚や橋桁は、耐震性などの安全基準を満たす必要がありますことから、木材ではなく鋼材を使用せざるを得ないということですね。

    そこで、鋼材の周囲を木の板で覆うことにしておりまして、これにより橋全体が「木橋」というイメージができるように工夫したい。このように考えているわけであります。

    ここは完全に木橋で整備をするということですが、この柱とこの下段のところですね、ここはやっぱり鋼鉄製で鋼材を使用せざるを得ない。地震で橋が崩落するといけませんので。ここは最新の近代テクノロジーを使っていかなければいけない。だけど鉄がむき出しでは江戸時代の木橋というイメージとはほど遠いので、この鋼材の周りを木で化粧するというんですか、覆って全体は木橋としてのイメージができるようになりますね。そういう工夫をする。

    だから、鋼材という近代テクノロジーを隠し味で使うということですよね。外はみんな木で覆う。全体は木橋のイメージができるようにする。こういうことでございます。

    そして尾山神社側とは2mほど高低差がありますので、ここはスロープを設けることによって、その高低差に対応する、こういう工夫をすることにいたしております。

    橋は、江戸時代より高くなりますので、尾山神社側では、現在の敷地より約2m高い位置に橋がくるということになります。それで階段とバリアフリーに対応した木造のスロープを設ける。

    健脚の方はこの階段をそのまま降りれば尾山神社へ行ける、そうでない方はこのスロープを使っていただくと、階段を使わずにそのまま尾山神社側へ行けるということですね。2mの高低差がでますので、こういう対応をせざるを得ない。

    尾山神社側から金沢城へお越しになる場合には、鼠多門橋を渡る前に、この一段高くなったスロープから、鼠多門をはじめ、背後の二の丸の高台などの金沢城の姿を、藩士が登城するような気分でご覧いただきたいと考えておりまして、このスロープは、城を望む絶好の眺望スポットになることを期待しております。

    ここですね、ここに立てば鼠多門とその向こうに見える二の丸の高台が眺望できる。ここが絶好の眺望スポットになるのではないか、そんな期待をしているわけであります。

    できるだけ早い時期の完成を目指し、来年度には着工できるよう、引き続き設計作業を進めていきたいと考えております。

以上

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