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更新日:2016年1月7日

知事記者会見(年頭知事会見) - 平成28年1月4日 - 1 金沢城公園の整備について

 新長期構想関連

新たな長期構想に関連をして、特にお話を申し上げたいことの1点は金沢城公園の整備でございます。

1 金沢城公園の整備について

第三期整備計画について

計画の概要:図1(JPG:147KB)

    いわゆるこの第三期計画でございますけれども、おさらいになりますけれども、計画の対象となる事業は3つの事業がございまして、1点目は、城郭の復元としての計画の柱になります「鼠多門と鼠多門橋」の復元整備です。今埋蔵文化財の調査をやっております。

    それから2点目は、この金沢城公園、昨年も実に多くの皆様方にお越しをいただきました。そうした皆様方の利用環境の向上を図るということで「鶴の丸休憩所一帯の再整備」を行うことにしました。ここには今まで休憩所がございますが、これは平成13年の全国都市緑化フェアにあわせてつくった暫定的な施設でありますので、相当老朽化が進んでいるわけでございます。この建て替えも含めて抜本的な再整備を行うということにいたしております。

    3点目は、これまでもやってきたことでありますけれども、石垣の博物館ともいわれる金沢城の「石垣の計画的な保全対策」で、三期計画でも着実にこれを進めていきたいと考えておりまして、事業のスケジュールとしては、「鼠多門と鼠多門橋」の復元整備でありますけれども、現地では、埋蔵文化財の調査が行われております。埋蔵文化財の調査も順調に進んでおりますので、これから平成28、29年の前半にかけて調査設計を行いまして、平成29年度中には、復元整備に向けて着工したいと考えておりまして、これが予定通り着工されますと、平成33年度には「鼠多門と鼠多門橋」の復元整備が完了するのではないか、そんな見通しも立てているところでございます。

    そして、鶴の丸一帯の休憩所の再整備でありますが、これは今申し上げたとおり、昨年も非常に多くのお客さんが新幹線でお越しいただきました。金沢城公園の利用者が大きく増加をいたしました。そうした皆さん方にご不便をかけてはいけないということでありますので、ここの再整備については、われわれ急ぎたいと思っておりまして、平成28年度中には休憩所の整備を終えたいというふうに考えているところでございます。従いまして、鶴の丸休憩所の再整備は、平成29年の遅くとも春には完成をさせたい。そして供用を目指したいと。こういう形でこれから作業を進めていきたい。

    こういうスケジュールを考えてまいりますと、この第三期計画の事業期間というのは、今年度、平成27年度から平成33年度までの7カ年ということに、相成ってくるわけでございます。


鼠多門・鼠多門橋の復元整備:図2(JPG:134KB))  

    そのうちの「鼠多門と鼠多門橋の復元整備」でありますけれども、これらが復元されますと、城の外周部にあるわけでありますので、市街地に面した建物にもなるわけでございますので、「魅力ある城下町の景観が創出」できるということに相成ってまいります。

    加えて、長町の武家屋敷から、隠居した藩主、あるいはお世継ぎなどの御殿がございました金谷出丸、現在の尾山神社を経て、兼六園に至る、代表的な「加賀藩ゆかりの歴史的回遊ルート」がこれで明確になるわけでありますので、金沢城のシンボル性がより高まってくるということが云えるかと思います。

    ここが長町の武家屋敷、そしてこの尾山神社、そして鼠多門橋を経て、玉泉院丸庭園、玉泉院丸庭園から二の丸へ上がって橋爪門をくぐりぬけますと三の丸、石川門をくぐりぬけると兼六園、そういう形で加賀前田家ゆかりの回遊ルートがこれで完成をするということになるわけですので、単なる鼠多門橋、鼠多門の復元ということにはとどまらない。そんな効果が出てくるのではないかと思います。

    加えて、これまでと同様でありますけれども、伝統的建造技術の継承につながるということになりますし、石川の匠の技を発信するということにつながっていく、だから3つの意義があろうかと思うわけでございます。

    そしてこの鼠多門は、三御門、いわゆる石川門と河北門とそれから橋爪門、これが宝暦の大火や文化の大火による焼失をしましたけれども、鼠多門だけは焼失を免れました。残念ながら明治17年には焼失してしまいました。鼠多門橋は、明治10年に老朽化したため撤去されたことが史実として残っているわけであります。

    そしてこの鼠多門でありますけれども、江戸後期の絵図によりますと、金谷出丸から玉泉院丸を経て二の丸へ至るルートのいわば入口となる門でありまして、これまで復元しました河北門や橋爪門とは相当様相が異なっております。今申し上げたように今から130年前の明治17年に焼失するまで存在し続けた建物であります。

鼠多門の特徴:図3(JPG:116KB)

    そしてこの鼠多門の特徴でありますが、石川門、河北門、橋爪門と相当異なりまして、これは河北門ですが、枡形に囲まれているこういう強固な造りになっている門だった、枡形門という門ですけれども、この鼠多門は石垣の間に門があって、二層の櫓からなっている。この二層の櫓を合わせて高さが約13メートル、河北門は一層の櫓ですけれども高さは13メートル。二層にすることによって13メートル、河北門と高さを合わせたのではないかと云われているわけです。

    こういう門造りにしたのは、鼠多門というのは、河北門とか石川門とか、橋爪門と違って、表向きの門ではなかった。藩主らが二の丸と金谷出丸、今の尾山神社の御殿を行き来する、城の内部的ないわば私的な門であったということから、こういう単体の門になったということのようでございます。

    そして鼠多門は、明治以降、陸軍が焼失した門を取り壊して石垣で塞いでしまった、ということになったわけであります。唯一明治以降、閉ざされた形になっておりましたが、今回の復元によりまして、これが通行可能ということになります。まさに歴史的なルートが復活を果たすという、そういった意味合いが込められているということでございます。

    なお「橋」につきましては、鼠多門橋につきましては、堀を渡る長さが約29メートル、そして、橋の幅が約5.5メートルの木橋であったということが確認されているわけです。

    当時はこの下はお堀であったわけでありますけれども、現在は市道になっています。従いまして、おそらく当時の長さは29メートル、幅員が5.5メートルの橋でありますけれども、当時と同じ形の復元は、実際問題難しいと思います。当時はお堀だったのですが、今は道路で車両が通行しておりますから、だからこの高さではおそらく車両の通行が阻害されるでしょうから、例えば、橋の高さを上げないといけない、橋脚もこの位置だと車の通行に障害になりますので、もう少しこちらに寄せなければいけない。そうすると木の橋だと橋脚を向こうへやってしまうと橋を支えきれなくなってしまう。

    だから復元するに当たっては、藩政期時代の木橋そのままでの復元は実際問題難しいのではないか、だから外観はこういう木橋の形をとりながら、やはり近代テクノロジーというものを隠し味として使っていく、そんな工夫がこれから求められるのではないかと思いますので、そんなことをこれからあわせて検討していかないといけない。というのは当時お堀であったものが、道路になって車が走行しているという、この状況を無視するわけにはいかない、そういうことでありますから、ここは、相当技術的に色々な工夫をこれから重ねていく必要があるのではないかと思います。

鶴の丸休憩所一帯の再整備:図4(JPG:143KB)

    次に、「鶴の丸休憩所一帯の再整備」でありますけれども、さっき申し上げましたとおり、鶴の丸休憩所は平成13年の全国都市緑化フェアの際に休憩所として暫定的に整備したものであります。大変、老朽化が進んでいるわけでありますので、これを建て替えまして、展示、休憩等の役割を持ったサービス施設を整備し、併せて一帯を再整備しようというものであります。

    この新たに建替える休憩所では、飲み物や軽食なども提供して、ゆったりとくつろいで頂けるような場所にしたいと考えているわけでございます。

    そして、この場所は、菱櫓から五十間長屋、橋爪門までをパノラマ上に堪能できると同時に、土塀や本丸の高台に囲まれた、江戸後期の風景が楽しめる、まさに歴史を感じさせる空間でもございます。

    そして、金沢城公園は、重要文化財、あるいは復元建物、石垣の博物館といわれる多様な石垣など、至る所に見所がございますので、公園全体が「本物志向の歴史展示館」、いわばフィールドミュージアムというふうに申し上げても過言ではないと思いますので、この休憩所では、城の歴史とか特徴、園内各所の見所などの情報を集約して、ここに来れば金沢城の全てが分かる、こういった情報発信の拠点として、案内や展示機能の工夫もぜひ凝らしたいと考えております。

    建物のイメージでありますけれども、この休憩所は復元する建物では当然ありませんので、三の丸広場から見た場合に鶴の丸の土塀に隠れるように高さを抑えるなど、一帯の城郭景観に溶け込む「現代的な和風デザイン」にしたいと思っております。

    さらに、五十間長屋側を見る所については全面ガラス張りにして、復元した建物を一望できるような、そんな工夫を凝らしたいと考えております。

    今の休憩所はここにあって、どちらかというと石川門の方向に向いているわけなのですが、やはり金沢城の中心はこの五十間長屋、菱櫓、橋爪門ということなので、この向きをこちらに変えることにしよう。こういう点線の形で休憩所を設けてはどうかと。だから、ここは全面ガラス張りというのは、これが今の石川門で、このガラス張りから見えるのはこういう情景が、こういう光景が見えるように菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓、橋爪門そして、鶴丸の土塀、こういったお城のいわば中心部がパノラマ状に見えるように、ここは全面ガラス張りにしたい。こういう形で考えていまして、もう一つは、鶴丸の土塀とこれが本丸の高台です。この間にこの休憩所をつくりますので、この休憩所がこの塀からぼーんと上に出ることによって、城下景観を阻害してしまうということで、土塀の中にうまく隠れるように、そういう配慮もぜひしていく必要があるだろうと、こういうふうに思っているところでありますので、現在設計を進めており、来年度には完成をさせ、供用したい。このように考えているわけであります。

新たな絵図の発見と二の丸御殿について

    そして、もう一つはこのほど、新たに金沢城の絵図に関する情報提供がございました。

    この絵図を確認しましたところ、これまで確認されていなかった明治初期の金沢城の全体図とか城の中核であった二の丸御殿の詳細な平面図、絵図であることが判明いたしました。早速我々入手をいたしました。ぜひ紹介をしたいと思っております。

明治初期の絵図面:図5(JPG:112KB)

    この図面でありますけれども、これは明治2年に廃藩置県が行われまして、最後の藩主でありました前田慶寧公が金沢城を去られた後、当時の陸軍が金沢城に入って間もない明治5年頃の金沢城の全体を描いたものでありまして、建物の配置状況が極めてよく分かるわけであります。

    明治政府が明治6年に、全国の城の存廃を決定する「存城廃城令」という法律を出したそうでございますが、その中で、全国の城を個々にチェックをする、検討をする。このお城は残し、軍隊の拠点として使うのか、このお城はもう使わないから取り壊すのか、そういう分類をしたそうでありまして、そのお城を個々に検討する目的で、こういう図面が作成をされた。ですから、これは正本そのものは、もう東京にいって届けられていますので、正本は無いわけであります。当時は、必ず正本をつくった時には、控えの図面をもう1部つくるというのがどうも常識だったようで、控えの図面がこの金沢に残っていた。残っていたというのはやはり金沢は戦災に遭わなかったから、半世紀時代の古い資料が全部残っているわけです。これ、仮に金沢が戦災に遭っていたら、こういう資料は一切出てこなかったと思うわけでございます。そして、その後、金沢城は存続をするという決定がなされて、ご存じのように陸軍の第九師団が入り、これが陸軍の拠点ということで、昭和20年まで使われたということでございます。

明治初期の二の丸御殿:図6(JPG:107KB)
 
     この図面は、明治5年頃の二の丸御殿全体を描いたものでありまして、これから10年後、明治14年に二の丸御殿は兵隊の火の不始末で焼失をするわけでありますので、その焼失直前の最後の詳しい間取り、言い換えれば、二の丸御殿の「最も新しい」造り、そういう姿を示した図面ということになるわけでありますので、これから我々がいずれ二の丸御殿を史実に沿った形で復元するということになりますと、これは大変貴重な情報が得られる絵図ということになるわけであります。

    これまで金沢城の絵図については、約120点調査しておりますけれども、そのうち年代が判明していたのは、13代藩主前田斉泰公時代の1850年以前の姿を描いたものばかりでございました。それ以降、明治を迎えるまでの金沢城の姿は非常に不明な点が多かったわけでありますけれども、今回入手した絵図によりまして、これまで年代が判明していなかった絵図が幕末期のものであるということが全てこれによって判断できるということになりました。したがって、この史料の発見は、御殿の変遷を解明する上で、大変意義のある発見ということになるわけであります。

    この絵図から新たに判明したことがいくつかございます。

明治初期の絵図面:図5(JPG:112KB)

    1点目は、この赤で描かれているここがいわゆる二の丸御殿になるわけであります。その二の丸御殿の屋根にどういう材料が使われていたかということが今回分かりました。鉛屋根、杮葺きの屋根、銅屋根、銅板の屋根です、それから瓦葺きの屋根、この四種類の材料がこの二の丸御殿に使われていた。どの屋根がどこに使われていたかということも全部この資料で判明いたしました。

明治初期の二の丸御殿:図6(JPG:107KB)

    それから2点目は、二の丸御殿の中に使われた建具です。建具の種類とその数が、それぞれ詳細に記されていた。一つは、唐紙が417枚使われていた。障子が1,050枚使われていたとか、杉戸が66枚使われていた。こういう数字まで詳細なデータがこの絵図に記されていたということになっています。

    それで、3点目は、1850年までは、こういう松ノ間とか奥書院とか竹ノ間とか、こういう間取りが全部確認をされていたのですが、それ以後、これがどのようになったのか分からなかったのですが、今回の資料の発見によって、1850年頃の間取りがそのまま明治5年に至るまで残されていたということが、これで確認できたわけであります。

    幕末の二の丸御殿の姿については、これまで、文献や年代不明の絵図等から推測はしておりましたけれども、このように明治5年という年代が特定できる絵図が確認されたことによりまして、一部とはいえ、最後の二の丸御殿の姿が明らかになったということであります。

    しかしながら、これだけでは十分というわけではありませんので、二の丸御殿を復元するということになりますと、古い写真とか絵図、さらに幕末期の様相がよくわかる史料が当然必要不可欠ということになりますので、引き続き、史料の収集に努めていくということにしています。


二の丸御殿の復元:図7(JPG:151KB))  

    そして、この幕末時の「二の丸御殿」を、現在の公園の現況図に重ね合わせてみたのが、この絵です。今の旅団司令部のここまで二の丸御殿が広がっていたということです。この赤でくくったところが二の丸御殿の全体です。ここでいうとこっち側が五十間長屋側、こっち側が旅団司令部側です。

    規模が3,200坪です。今の1万平方メートル以上あったというから、どれだけ広かったか想像もつかない。それぐらい、大きな広さ、部屋数は60を超えていたという、まさに大規模な御殿であったということが云えるわけであります。

    そして、この御殿の構成は、大体、こう別れているのです。(仕事を司っていた「表向き」の間と、それから藩主の私的な部屋というか「御居間廻り」と、それからいわゆる奥方、正室、側室も含めて、奥方が住まいをしておられた「奥向き」と、大体この3つに別れているようでございます。)藩主が藩政を司り、儀礼の場でもある「表向き」、それから、藩主の日常生活の場である「御居間廻り」、そして、お城に居住する女性たちの生活の場である「奥向き」、この3つに大別することができるわけであります。

    かねてから、二の丸御殿については、藩主の居住空間であると同時に、加賀藩の藩政を司る役所として、金沢城の中核をなす建物。そして、将来の金沢城の姿に想いを巡らす時に、これまで復元した櫓や長屋などとは異なる金沢城復元の最後の総仕上げともいえる究極の建物と私自身は理解していたわけでありますが、この大規模な御殿を史実に沿って復元しようということになりますと、建物の外観をはじめ、内部の仕様や意匠、デザインなどの詳細が分かる史料がまだ十分でないわけでありますので、先程紹介した絵図などの史料の収集については、今後も精力的に取り組んでまいりたいと考えております。

    そして、ここは、御殿でございますから、これまでの城郭の建造技術や絵図文献の史料調査に加えて、例えば襖の障壁画でありますとか、釘隠しなどの飾り金具など、藩政期の美術工芸分野なども含めた総合的な調査研究が必要となってこようかと思います。

    二の丸御殿の復元に際しては、常に大きな夢と希望を持ちながらも、一つ一つ順序を踏んで、復元の可能性を追求していくことが、大変大事なことでございますので、今回の絵図面の発見は「夢の実現に向けたいわば出発点」とも云えるものかと思います。

    新たな長期構想の中におきまして、これから関係者のご理解も得なければいけませんが、「金沢城公園の整備」の中に「二の丸御殿の総合的な調査研究」に取り組む姿勢をお示しすることが、県民の皆さん方の金沢城復元に対する期待にお応えするものと考えております。

    こうしたことから、「鼠多門と鼠多門橋」の復元作業と並行しながら、総合的調査研究を本格化させるといったスケジュール感のもと、ぜひ取り組んでいくことができればと、このように考えているところでございます。  

 

以上

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